第九話 鼓音

「頼むよ! 頼む!」

 そんな悲痛な叫びが聞こえてきたのは、十三と炭治郎が次の任務に向かって畦道を歩いている時だった。
 道の真ん中で少年が泣いていた。おさげ髪の少女の腰に抱きついて身も世もなくすがりついている。

「結婚してくれ! いつ死ぬかわからないんだ俺は! だから結婚してほしいというわけで! 頼むよォ――ッ!」

 少女にしがみついているのは、十三にとって見覚えのある金髪の少年だった。

「善逸だ」
「知り合いなのか?」
「同期だよ。炭治郎、覚えてないのか? 藤の山にいただろ」
「疲れすぎててあんまり記憶が……とにかく助けないと」
「ああ、うん。この場合、善逸からあの子を助けるだよなァ」

 知り合いが明らかに不審者になっているのは嫌な気分である。
 駆け出した十三と炭治郎の前に、雀が飛び出してきた。善逸の鎹雀だった。チュンチュン、と鳴いて仕切りに訴えかけている。十三は首を傾げた。

「お前はしゃべれないのか?」
「そうか、わかった。何とかするから」
「え、炭治郎、言ってることわかるのか?」

 炭治郎は善逸の羽織の後ろ首をつかんで持ち上げ、少女から引き剥がした。親猫が子猫の首を噛んで噛んで運ぶみたいに問答無用だった。

「何してるんだ道の真ん中で。その子は嫌がっているだろう! そして雀を困らせるな!」

 善逸の対応は炭治郎に任せてよさそうだ。十三は少女と善逸の間に割って入る。

「大丈夫か? 何があったんだ?」
「具合が悪そうに道端でうずくまっていたから声をかけたら、結婚してくれなんて言われて……!」
「そりゃ災難だったなァ。変なのに絡まれて怖かったろう? さあさあ、あいつは俺たちがなんとかするから今のうちに帰りな」
「ありがとうございます」
「おいーっ! なんで邪魔するんだ……ってアーッ! お前は十三じゃないか!」

 善逸が十三を指差して叫んだ。その間に少女は背を向けて走り去っている。「待って!」と善逸が慌てて呼び止めるが、当然立ち止まることはない。
 炭治郎がすごい顔で無言で善逸を見下ろしていた。

「お前らのせいで結婚できなかったじゃないか! 責任とって俺が結婚できるまで守れよ! 特に十三、前みたいに俺を置いていくなよ! 俺がひとりでどんな怖い思いをしながら帰ったと思ってるの!?」
「仕方ないだろ、帰る場所違うんだから。それよりほら、すがりつくなら俺の膝にしときなって」
「お前は男じゃん! 柔らかくないしいい匂いだってしない! 十三は俺が弱いの知ってるだろ! 最終選別でもずっと十三に守られてたんだから! 俺は次の仕事で死ぬ! イィヤァアアーッ! 助けてェーッ!」

 泣き叫ぶ善逸は恐慌状態に陥っている。こうなったら落ち着くまでそっとしておくのが一番だと十三は選別試験の七日間で学んでいた。耕された畑を見て、いい土だなと思いながら待つ。
 善逸が泣き止むと、三人は並んで歩き出した。炭治郎はやっぱり雀の言葉がわかるらしい。それを聞いた十三は感心した。

「すごいな。俺はさっぱりわからなかった」
「嘘だろ、十三、今の信じるの? 素直すぎない?」

 炭治郎の頭の上で鎹鴉が鳴いた。

「駆ケ足! 駆ケ足! 炭治郎、善逸、十三、走レ! 共ニ向カエ、次ノ場所マデ!」

 急かされた。のんびりしすぎたらしい。

 山の中へ入っていくと、人里離れた場所に大きな立派な家が建っていた。誰か住んでいるのか外観はきれいに維持されていた。しかし、中にいるのは人ではない。
 開いた玄関の窓と二階の窓から伺うが、特筆することは見当たらない。それより十三たちは各自の感覚で異常を感じとった。

「血の匂いがするな……でもこの匂いは」
「それより何か音しないか?」
「血の味ならするぞ?」

 三人がそれぞれの発言を聞いて顔を見合わせた時、背後の茂みから草木が擦れる音がした。
 怯えた様子で抱き合う男の子と女の子だった。兄妹なのか顔が似ている。歳はまだ十に届いていないだろう。
 炭治郎が聞き出したところによると、二人の兄が化け物からあの家に連れていかれたらしい。

「兄ちゃんの血の痕をたどったんだ。怪我したから……」

 十三の表情が引き締まった。舌の上では濃い血の味している。かなり出血が多い。その子たちの兄が最悪の状態にある可能性があった。
 善逸はずっと家を見ながら耳をすませている。

「なぁ、この音なんなんだ? 気持ち悪い音……ずっと聞こえる。鼓か? これ……?」
「音? 音なんて……」
「何も聞こえないぞ?」

 炭治郎と十三はそろって首を傾げた。その時だった。開いた窓から放り出されるものがあった。
 人だ。
 血まみれの男が頭から落ちる。西瓜を落として割ったような嫌な音がした。
 その場の全員が凍りつく中、真っ先に動いたのは炭治郎だった。

「大丈夫ですか!?」

 開いた玄関の戸から獣じみた雄叫びが聞こえてきた。そして、ポンポンポンポン、と鼓の音が響いてきた。獲物を逃して苛立っているのだろうか、と十三は思った。

「炭治郎、その人……」

 十三の問いかけに、炭治郎は無言で首を横に振った。十三は眉を下げてうつむいた。あの子供たちにかける言葉がない。
 だが少年は、震えながら言った。

「に、兄ちゃんじゃない……兄ちゃんは柿色の着物を着てる……」

 家から漂う血の味が落ちてきた男のもので、この子たちの兄の怪我が軽症なら、まだ望みがある。

「善逸、十三! 行こう!」

 炭治郎は死体を丁寧に横たえると立ち上がった。十三は力強くうなずいた。

「ああ、ひとつ鬼退治と行こうか! あんたらはここで待ってろ。俺たちは強いからすぐに戻ってくるよ」

 だか、善逸は震えながら首を横に振った。炭治郎の眦がつり上がる。普段穏やかなだけに怖さが倍増だな、と十三は思った。自分がもし炭治郎にあんな顔をさせてしまったら涙ぐんでしまうかもしれない。

「そうか、わかった」
「ヒャーッ! 何だよーッ! なんでそんな般若みたいな顔すんだよォーッ! 行くよォーッ!」
「無理強いするつもりはない」
「その顔で言っても説得力ないぞ、炭治郎。まァ、善逸がやる気になってくれたのなら何よりだ」
「俺を勘定に入れるな!」

 そう言われても善逸は強いから来てほしい。藤重山で鬼を一刀両断した居合斬りは見事なものだった。
 炭治郎は背負っていた木箱を下ろした。

「もしもの時のためにこの箱を置いていく。何があっても二人を守ってくれるから」

 家の中に入った十三は炭治郎に尋ねた。

「いいのか? あの箱の中は……」
「ああ。禰豆子は強いから大丈夫だ」

 妹を置いていくことに不安がないわけではないだろう。だが炭治郎がそう言うのなら、十三はできることをすべきである。

「日が出ているうちに片付けよう。夜になったら外の子たちが危ない」
「そうだな」

 善逸は震えながら、十三と炭治郎の後ろを一歩遅れてついてきていた。

「炭治郎、なぁ炭治郎、守ってくれるよな? 俺を守ってくれるよな?」
「善逸、ちょっと申し訳ないが、前の戦いで俺は肋と脚が折れている。まだ完治してない」
「えええーッ! 何折ってんだよ骨。折るんじゃないよ骨。折れてる炭治郎じゃ俺を守りきれないぜ。ししし死んでしまうぞ。十三は怪我してないよな? 俺は十三から離れないぞ」

 善逸は十三の後ろにぴったり張りついた。

「そんなにくっつかれると歩きにくいぞ」
「おおお俺を見捨てるなよォ!」

 二つの軽い足音が近づいてくる。外で待っているはずの兄妹が、中に入って来ていた。炭治郎が叱りつける。

「入ってきたら駄目だ!」
「お兄ちゃん、あの箱カリカリ音がして……」
「だからって置いてこられたら切ないぞ。あれは俺の命より大切なものなのに……」

 家鳴りがした。上の階で鬼が暴れているのかミシミシと天井から音がした。
 悲鳴を上げて屈み込んだ善逸の尻にぶつかって、炭治郎と少女が廊下から部屋の中に押し出された。
 ポン、とどこからか鼓の音がした。

「え?」

 十三は驚きで目を見開いた。廊下にいたのに、一瞬で周囲が畳敷きの部屋に変わっていた。それに、炭治郎と少女の姿がない。

「また炭治郎が消えた?」
「また? こんな変なことが前にもあったの?」

 善逸がますます青ざめた。

「前の任務でも血鬼術で消えて。……今回も血鬼術か」

 近くに鬼の気配はないが、兪史郎のように姿を隠す異能だってある。油断はならない。
 少年は血相を変えて叫んだ。

「てる子! てる子!」
「だめだめだめ大声出したらだめ」
「うん、善逸の言う通りだ。鬼に居場所がばれるようなことはしない方がいい。大丈夫、てる子ちゃんは炭治郎と一緒だ。心配するな」
「もうやだこんな所、帰ろう」

 泣きべそをかきながら善逸が戸を開ける。そこは火鉢のある和室だった。

「嘘だろ、ここが玄関だったのに! こっちか!?」

 善逸は別の戸を開けた。和室の中央に、二振りの刀を持った人影が佇んでいた。むき出しの上半身に、猪の頭。忘れるはずがない。十三は鬼殺隊の選別で一度会っている。
 伊之助、と呼びかけようとした十三の声は善逸の叫びにかき消された。

「化ケモノだァーッ!」

 十三は再会を喜んで手を振ったが、伊之助は無視して十三の脇を走り去った。まさか相手に忘れられたのだろうか。だとしたら悲しい。
 襖を蹴破って伊之助は進んでいく。とっさに十三は駆け出した。すぐに追いかけなければ見失ってしまう。

「待って、伊之助! 善逸、その子のこと任せた!」
「アーッ! 十三また俺を置いていった!」

 善逸の叫び声を背中で聞いた。ごめんな、と十三は心の中で詫びる。声を出す余裕がない。伊之助に追いつくには本気で走る必要がありそうだった。