第八話 医者

 クロキチが案内した先にあったのは、広い庭のある立派な家だった。塀越しにも濃厚な鬼の気配が十三にも感じられた。今まさに戦闘中らしく、物騒な音が聞こえてくる。
 息を吸う。足に力を入れ跳躍。とん、とわずかな音を立てて塀の上に着地した。眼下に素早く視線を走らせる。半壊した家屋が戦闘の激しさを物語っていた。

「何が起こってんだ?」

 鬼同士が戦っている。複腕の鬼が鞠を投げ、竹筒をくわえた鬼が蹴り返す。児戯のような行為でも家屋を破壊する力があった。それを見守る女性と少年からも鬼の味がした。
 鬼たちから離れた所に炭治郎がいた。うつ伏せに倒れて、立ち上がる気配がない。十三はすぐさま跳びおりて、炭治郎の横で膝をついた。

「大丈夫か、炭治郎」
「十三!?」

 炭治郎の口からくわえていた日輪刀が落ちた。擦り傷だらけだが、見た目には大きな傷はない。

「動けないのか。怪我は?」
「疲れすぎて……」

 炭治郎が弱々しく微笑んだ。命に別状はなさそうで十三はひとまず安心した。

「鬼がこっちに来る前に安全な所に運ぶぞ」
「待ってくれ。あそこにいるのは妹なんだ。助けないと……!」
「妹……?」

 炭治郎の見つめる方向には鬼しかいない。言われてみれば、竹筒をくわえた鬼の顔立ちは炭治郎に似ていた。

「まさか……助けるって鬼だぞ!? 何を言っているかわかってんのか? 俺たちは鬼殺隊だぞ!」
「わかってる! でも助けるんだ! 禰豆子を助けるんだ! 鬼から戻すんだ!」
「炭治郎、お前……」

 そういうことか、と腑に落ちた。炭治郎からは初めて会った時から、鋼のような硬い意志と涙の味がする悲しさが感じられていた。もしも自分の家族が鬼になったら受け入れられるだろうか、と考えてすぐに十三は頭を振った。無理だ。

「……ごめんな。お前に斬れないんなら俺が斬る」
「待ってくれ! 禰豆子は違う! 二年間人を食べてないんだ! 絶対に人を襲わない!」

 炭治郎の指が土の上でわなないた。動く力も残っていないのに、十三をとめようと必死でもがいている。
 悲痛な叫び声は聞いているだけで胸が締めつけられるが、情に流され見逃したところで鬼の被害が増えるだけだ。十三が鬼を倒すのは自分の味覚を満足させるためだが、人食いの化け物を野放しにするのは目覚めが悪い。それくらいの道義はある。いや、待て、炭治郎は気になることを言わなかったか。

「二年……?」
「そうだ! 禰豆子は人を一度も食べていないんだ!」

 鬼が人を食べないなんて聞いたことがない。だが炭治郎からは嘘の味はしなかった。ならば十三にできるのは、炭治郎を信じるかどうかだ。

「わかった。じゃあ禰豆子ちゃんに加勢するぞ」
「ありがとう、十三! あっちの二人も味方だから斬らないでくれ」
「鬼が味方ってのも変な感じだなア。まあ、炭治郎が言うなら、うん、いいぞ。迷子になってたところ助けてもらったからな」

 十三が鬼の方に向き直ると、女性の鬼が複腕の鬼に話しかけたところだった。

「……そのように操作されているのです、貴女方は」
「黙れ――っ! 黙れ黙れ! あの方はそんな小物ではない!」

 刀の柄に手をかける。斬りかかる隙を探る。

「鬼舞辻様は!」

 今だ!
 飛び出しかけた十三を、女性の鬼が腕を出して止めた。女性の鬼の白い腕からはいく筋もの血が滴り落ちている。自分で故意に傷つけた証拠に、反対側の手の爪に血がついていた。

「この鬼はもう死にます」
「へ?」

 十三はたたらを踏んでとまった。
 複腕の鬼は言ってしまった言葉を喉の奥に押し戻すかのように、手で口を押さえた。顔が青ざめて、まるで余命宣告をされたような絶望がありありと浮かんでいた。

「その名を口にしましたね。呪いが発動する……。可哀想ですが……さようなら」

 呪いって何、と十三が問うより先に効果は表れた。複腕の鬼が許しを請う口から、引き締まった腹から、腕が体内を突き破るように生えてきたのだ。太くたくましい腕が鬼の頭蓋を握りつぶす。それだけでは飽き足らず身体中を握りつぶしていく様を、十三も炭治郎も言葉なく見ているしかなかった。
 鬼の少年が大股で近づいてきて、手拭いで炭治郎の鼻を押さえた。

「珠世様の毒を吸い込むなよ。人体には害が出る」

 十三も慌てて羽織の袖で鼻を押さえた。鬼の少年は露骨に不快そうな一瞥を十三に投げた。

「お前はあの時の鬼狩りじゃないか。なんでここにいるんだ」
「クロキチが案内してくれたんだ」

 名前を聞いてクロキチが十三の肩にとまった。

「くそっ、目くらましの術が解けたせいで……。早くここを去らねばならないな」
「どっかで会ったことあったか?」

 十三は首をひねった。初対面のはずだ。鬼の少年は舌打ちして教えてくれなかったので、炭治郎が女性の鬼と十二鬼月について話し終わるのを待ってから尋ねた。

「兪史郎さんたちは通りで鬼にされた人と俺を匿ってくれたんだ。血鬼術で姿を隠していたから十三は見覚えがないんだと思う」
「ああ、急に炭治郎が消えた時のか。花がバアアってなって、何かと思った。すごい心配したんだぞ」
「珠世様の血鬼術だ。お前たちに見せるにはもったいない」

 珠世は注射器で鬼から血を採ると、禰豆子をつれて先に屋敷の中に入っていった。兪史郎がその後を追う。

「立てるか?」

 十三は炭治郎が起き上がるのに手を貸した。

「ありがとう。ひとりで歩けそうだ」
「無理はするなよ」

 かすかな声が聞こえてくる。か細い女の子の声だけ。

「ま……り……」

 声の主を見た十三は顔をしかめた。仕留めた虫がまだ動いているのを見たような気持ち悪さを覚えた。

「あんなになってもよくしゃべれるもんだな。……炭治郎、どこ行くんだ?」

 炭治郎は鞠を拾うと、鬼の側に置いた。朝日が昇る。ほとんど姿形をとどめてていない体が塵になる。十三は炭治郎が鬼を弔うのを黙って見ていた。

***

 くしゅん、と十三の鼻からくしゃみが出た。崩壊を免れた地下の和室に十三たちはいた。炭治郎が珠世から怪我の手当てを受けている。

「禰豆子ちゃん、包帯で遊んじゃダメだよ」

 包帯の丸い束を転がし始めた禰豆子の手を、十三は握った。禰豆子は抵抗することなく、ぼんやりとなすがままになっている。

「炭治郎の手当てが終わるまで俺と遊ぼうか。この歌とか知ってるか?」

 十三は童歌を歌いながら調子にあわせて手を揺すった。互いに手を叩き合う遊びなのだが禰豆子には難しいだろう。禰豆子の瞳は相変わらずどこを見ているかわからなかったが、歌に合わせて体を揺らし始めた。
 鬼なのに怖くない。鬼と遊ぶなんて友好的な熊に出会ったみたいな変な感じだ。
 くしゅん、とまた十三の鼻からくしゃみが出た。珠世が振り返った。

「大丈夫? お風邪を召しているのかしら」
「うーん、さっきまで寒いとこにいたからかなア。氷を使う鬼がいたんだ」
「まあ、大変。兪史郎、葛湯を出して差し上げて」
「はい、珠世様!」

 兪史郎の威勢のいい返事は、まるで主人に命令されてしっぽを振る犬みたいだ。

「鬼なのに葛湯を持ってるんだ」

 十三は言ってから後悔した。珠世がなぜ鬼なのに治療道具を持っているのか、彼女の職を聞いた後だったからだ。

「ごめん、医者だった」
「いいのよ」

 珠世が優しく微笑んだ。これは兪史郎が懐くわけだ、と十三は少し見惚れた。

「鬼がみんな珠世さんや禰豆子ちゃんみたいならよかったのに」
「難しいでしょうね……。私も禰豆子さんに会うまでは私たちのような鬼とは会ったことがないもの」
「あだっ!」

 十三の頭頂部に鈍い衝撃があった。涙目で振り向くと、湯飲みを持った兪史郎が立っていた。

「ほら、お前には過ぎるものだが珠代様のご厚意だ。ありがたく飲め」
「兪史郎、人を殴ってはいけません!」
「すみません、珠世様!」
「なんで当たりが強いんだ」

 十三は唇を尖らせて兪史郎に文句を言った。兪史郎は腕を組んで断言する。

「信用できるか、鬼狩り」
「俺に殺されるか不安なんか? 兪史郎も珠世さんも斬らないよ。二人とも悪い鬼じゃないんだろ。それに兪史郎は斬っても不味そうだし」
「珠世様を気安く呼ぶな。なんて言った? 不味そう? 鬼を食べるのか。悪食にもほどがあるだろ」
「いや、食べないけど斬ると味がするんだ」
「はあ?」

 兪史郎の眉間に深い皺が寄った。十三は自身の感覚について説明したが、ますます兪史郎が怪訝そうな顔をするだけだった。

「兪史郎は鬼の血が薄いんだっけ? だからあんまり美味しそうじゃないんじゃねえかな、たぶん」

 十三は十三で最初から理解を求めていないため、自分の推測にひとりでうなずいている。禰豆子はいつの間にか横になって眠っていた。
 炭治郎と珠世は鬼の研究の話をしていた。珠世が炭治郎に、鬼の血を集めるよう頼んでいた。

「あ、俺も手伝う」

 十三は手を挙げて話に入り込んだ。

「いいのか?」
「人手は多い方がいいだろ」
「そうね。……でも困ったわ。この猫一匹しかいないのよ」

 珠世が三毛猫の頭を撫でた。この部屋に入った時は猫の姿はなかったのだが、なんでもこの猫は姿を消せるらしい。この猫が炭治郎が集めた血――禰豆子のものと倒した鬼のもの――を珠世のところまで運ぶという。

「これから十三はどこに行くか予定はあるのか?」
「いや、まだなんの指令もないし何も決まってない」
「それなら一緒に行動しないか。十三が一緒なら心強いよ」
「ああ。別行動することになったら、注射だけ何本かもらって、また炭治郎に会った時に猫に渡せばいい」

 十三が猫を見ると、猫はなうと鳴いた。了解したと返事をしたかのようだった。