強さを求めて

 アレンと別れたルシルは、病室から真っ直ぐ室長室に向かった。足取りは力強く、軍の行進のように規則正しい。すれ違った団員が廊下の端に避けるほど、今のルシルは殺気立っていた。

「室長いますか? コムイ室長ー?」

 あれえ? とルシルは首を傾げた。ノックをしても返事はなく、ドアには鍵がかかっている。いきなり出鼻が挫かれて、体に入っていた余計な力が抜けた。
 軽やかに小走り出す。今すぐコムイに伝えたいことがあって、じっとしてられない。科学班室に飛び込んだ。

「ねえ、コムイ室長どこに行ったか知らない? ーーって、こっちも誰もいない!」

 この部屋が無人になるなんて、怪しげな発明品が暴走して対応に追われている時くらいではなかったか。デスクやボードに行先を書いたメモでもないか一瞥したが見当たらない。飲みかけのコーヒーは冷め切っていて、長く留守にしていることがわかっただけだった。
 食堂へ行くと、夕食にはまだ早い時間のため閑散としていた。何人かの白いコートのファインダーがいるだけで、科学班の白衣姿はなかった。

「ルシル!」

 厨房から出てきたジェリーが力いっぱいルシルを抱きしめた。痛いくらいだったが、その温もりにルシルの顔は自然とほころんだ。

「よかったわ。食べに来てくれたのね」
「ジェリーさん苦しいよ」
「あらやだ、ごめんなさい。嬉しくってつい。元気になったみたいね」

 ジェリーは体を離すと、大きな手でルシルの頬を撫でた。急に何かに気づいたように真剣な顔になって、ジェリーはむにむにと優しく揉み出した。

「な、なに……?」
「不摂生でもこの肌ツヤ! 若いっていいわ……!」
「ジェリーさんも若いでしょ。ねえ、コムイ室長を見なかった? 科学班の人も誰もいないの」
「方舟の所じゃないかしら?」
「ふね?」

 ルシルは目をまたたかせた。また何か発明したのだろうか。
 ジェリーは腕を組んでうなった。

「アレンたちの任務のことどこまで聞いてる?」
「あんまり。というかスーマンのことしか聞かなかったわ」

 ルシルはジェリーの手から解放された頬を触った。肌ツヤがいいかどうか、自分ではわからなかった。

「夕飯の仕込みをしながらでよければ聞いていく? アタシも詳しくは知らないけど」
「うん、教えて。あと何か食べたいな」
「サンドウィッチならすぐに出せるわよ」

 情報と食事を得た後、ルシルはジェリーに教えてもらった場所へ行った。
 天井の高いホールに、巨大な光輝くものが浮かんでいる。光でできた薄い板みたい、とルシルは思った。机の上には紙の山ができている。科学班員たちがまさに調査の最中だった。

「あれが方舟のゲート?」

 ルシルは、リーバーとジョニー、タップのところに近づいた。

「お、ルシルもこいつを見物に来たのか? 残念だが中には入れられないぞ」
「バク支部長は勝手に入っていったけどね」
「班長とジョニーに一緒に行ったけどな」
「そりゃ支部長ひとりで行かせるわけにはいかないだろ」

 リーバーが疲れた様子でため息をついた。

「ノアの物だったんでしょ。入って大丈夫だったの?」
「それを調べてるところさ」
「もうノアはこの中にいないから心配いらないよ」

 ジョニーがのんびりと笑った。ルシルはノアの物がどうしても安全とは信じられず、顔を曇らせたままだった。

「それならいいんだけど。……ねえ、コムイ室長は?」

 ここにもコムイの姿はなかった。
 リーバーがこたえる。
 
「中央庁のお偉いさんと会議中だよ」
「長くかかりそう? 早く伝えたいことがあるんだけど」
「急ぎの用か?」
「今日から復帰するって伝えたいの」
「え、え、え!?」

 ジョニーの大声がホールに響いた。何事かと振り返る他の班員に向けて、タップが「なんでもない」と伝える。
 リーバーは真剣な眼差しでルシルを見つめた。表情は怖いくらいだったが、本気で案じてくれているのが伝わってくる。

「大丈夫なのか?」

 ルシルは拳を握りしめた。

「もう平気よ。戦う相手もわかったから」
「そうか……。室長が戻ったら伝えとくよ」
「うん。お願いするわ」
「ルシル……」

 泣きそうな顔のジョニーに向かって、ルシルは心配いらないと言う代わりに微笑んでみせた。

「そういえば、新しい団服ができてるんだった。まだルシルには渡せていなかったけど」

 ふとタップが言った。ジョニーも「そうだった!」と声を上げた。

「今度はどんなデザイン? ちゃんと可愛いものじゃないと嫌よ?」
「ちゃんと可愛くなってるよ。今回はボタンじゃなくてジッパーにして、動きやすいようホットパンツにしてあるんだ」
「ええっ!? スカートがよかった!」

 即座にダメ出したルシルに、リーバーが吹き出した。

「ははっ! その分だと大丈夫そうだな。今から作り直すのは大変だから我慢して着てくれ。アレンたちの団服がボロボロになって、そっちの直しが優先だからな」
「はあい。それくらいわかってるわ」
「団服は部屋に届けておくね」
「ありがとう、ジョニー」

 これ以上いても調査の邪魔になるだろう。ルシルはホールを出た。
 新しい服は多少不満点があっても気分が上がる。浮き浮きと訓練所に向かった。ーー戦うと決めた。仇を取ると。だから、強くなるためにできることはなんでもしよう。
 風を切る音が聞こえる。神田が木刀を持って素振りをしていた。
 ルシルの機嫌は一瞬で急降下した。神田は苦手だった。すぐに怒って怖い。前に一緒の任務にあたった時は、馬鹿だの間抜けだの散々怒鳴られて最悪だった。というか怪我をして病棟にいるはずじゃないの? こんな所で何やってるの、まったく。ルシルは心の中でぶつぶつ文句をたれた。直接言う勇気はなかった。
 神田から離れた場所で、ルシルは柔軟から始めた。体を動かすのは好きだ。じっとしているの方が苦手で、昨日まで何日も部屋に閉じこもっていられたのが自分の性分を考えると驚きだった。
 拳を構える。ステップを踏む。パンチを繰り出す。くるり、とその場で一回転した。動きに合わせてスカートが花咲くように広がる。うん、やっぱりスカートはいい、とルシルはうなずいた。ドレスを着て舞踏会に行けないのなら、せめて可愛い格好で戦場に行きたい。
 神田は素振りから敵を想定した動きに変わっていた。袈裟懸けに切り下ろし、返す刀で次の斬撃を加えている。惚れ惚れするほど無駄のない動きだ。
 不意に神田は動きをとめ、ルシルを睨みつけた。

「何じろじろ見てんだ」
「うっ……」

 思わず一歩下がり、身を守るように胸の前で腕をクロスさせた。いいや、ひるんでいちゃダメだ。ノアはきっと神田より怖いはずだから。足に力を入れてしっかり立つと、ルシルは言った。

「あの、あたしと相手してほしいの! お願い!」
「なんで俺がお前と」
「強くなりたいの」

 神田は眉間に皺を寄せて舌打ちした。やっぱりダメだったか。ルシルは肩を落とした。でも強くなるためには諦めるわけにはいかない、とルシルが口を開きかけた時だった。

「いいぜ、やってやる。泣いてもやめねえぞ。ほら、来い。イノセンス使っていいぞ」

 神田が木刀の切っ先をルシルに向けた。ハンデつきとは舐められたものだが、腹は立たなかった。力の差は事実だったからだ。

「いいえ。イノセンスを使ったら木刀がすぐに折れると思うもの」

 ルシルは皮のグローブをはめ、拳を構えた。

 手合わせはルシルが地面に倒れ伏したことでお開きとなった。体力の限界だった。呼吸は荒く、体の中が空っぽになるんじゃないかというくらいに汗だくだった。木刀で打たれた場所が鈍く傷んだ。

「話になんねえな」

 神田は涼しい顔で息ひとつ乱していなかった。ルシルに一瞥もくれず立ち去っていく。ルシルはお礼を言おうとしたが、息をするのにいっぱいで声にならなかった。