都合の良いお伽話

 都合の良いお伽話に夢を見ていた。王子様や魔法使いが現れて、ここから連れ出してくれることを。パパとママが死んで、意地悪な先生のいる孤児院に入れられた私はきっと主人公になれるから。だってお伽話にはそういう子が多いでしょ? ママが話してくれたんだから。継母に虐められる子、孤児院の前に捨てられた子、ほらね?
 院長室に呼び出された時は、鞭で打たれるようなことをしちゃったかな、誰になすりつけられたかなって考えてた。
 でも、部屋にいたのは真っ黒な人だった。最初は窓を背にしているから顔が陰になってると思ったけど、仮面をかぶっているせいだった。
 両手を広げて私を出迎える。

「初めまして、ルカーチャ。私の名前はボンドルド。アビスの探窟家です」

 長袖の服と手袋で肌を隠し、首に下げた笛だけが白かった。パパの黒笛とは違って、手を組んだ形をしている。
 私は息を飲んだ。オースの子で知らない人はいないだろう。

「黎明卿……新しきボンドルド……」
「ええ、あなたのパパがいた祈手アンブラハンズのリーダーです」

 パパが死んだのは私の責任です、と黎明卿は謝った。びっくりして目が丸くなる。

「パパを殺したのはタマウガチなのに、どうしてあなたが謝るの……ですか?」
「殺されるような状況になったのは私の責任だからです」
「でもパパは誰かのせいにしないと思うです、じゃなくて、思います」
「無理に敬語を使わなくていいですよ。どうか楽に話してください」

 大人なのに子供の私に丁寧に話して、私には敬語を使わなくていいなんて、変わった人だ。

「本来ならもっと早くあなたに会いに来るべきでした。私がアビスにいる間にママまで亡くしていたとは……つらかったでしょう」

 黎明卿の声は仮面の越しだからか、くぐもっていて変な響きだったけど、穏やかで不思議ともっと聞いていたくなった。
 大きな手が伸びてきた。叩かれるんじゃないかと身構える。でも、手は優しく頭に乗せられて、ぐしゃぐしゃと撫でられた。……ママが死んでから、そんなことをする人はいなかった。

「ここでの暮らしはどうですか?」

 ひどいんです! と言えなかったのは、この人が助けてくれるかわからなかったから。ここに院長先生はいなかったけど、あとで「こんなことを言っていましたが本当ですか?」なんてバレたらきっと鞭ではすまされない。
 だけど、いい所ですとも言えなくて、床の木目を見ていた。早く何か言わなくちゃ。焦っていると、静かな声が降ってきた。

「あなたさえよければ私の所に来ませんか?」
「え?」
「研究の手伝いをしてほしいのです」

 私は何回驚けばいいんだろう。バネでできたおもちゃみたいに顔を勢いよく上げて、黎明卿を見つめる。
 窓から入ってくる風が黒いコートを揺らしている。まるでマントみたいだ。お伽話に出てくる優しい魔法使いがいたらこんな感じだろうか?

「私、アビスに行ったことなんて、一層でもないのに……」
「大丈夫ですよ。五層まで我々が護衛します。どうでしょう、私と共に奈落の次世代を切り開きませんか?」

 手を差し出された。黒い手袋は使いこまれていて、パパの手袋を思い出させた。
 知らない人からそんなことを言われたら、人攫いに決まっている。アビスに憧れる子供を騙す悪い大人がいるってママから聞いていたし、パパは奈落の穴がどんな所かたくさん話してくれたんだから。
 声真似で獲物を誘き寄せるナキカバネ、天井に向かって落ちる滝、フワフワで可愛くて美味しいネリタンタン、濃い湿気で霞む景色(パパの死体はもう食べられてしまっただろう)、死の静けさと寒さが支配する氷原……美しく、恐ろしいアビスの世界。

――現実は物語のように上手くいかないんだ。

 パパの言葉を思い出す。
 そうよね、子供が簡単に行けるわけないわ。

――もしも物語のような活躍ができる人がいるとすれば、それは白笛だろう。

 私はその手をとった。

 

***

 アビスはパパが言ってた通りすごかった!
 ……って言えたら良かったんだけど、五層まで来て暮らしているのに、私はアビスのことをほとんど知らなかった。
 窓のない乗り物で安全に地上から運ばれて、降りた場所は前線基地イドフロントの中。食べ物は味のしない行動食四号だけ。オースのご飯が恋しくなるけど、毎日食べられるだけマシだった。たまに黎明のおじ様が連れて行ってくれる外の世界に草木はなく、見渡す限り生き物の姿はない(地面の下に隠れてる原生生物がいるから注意!)。オースではおやつに道端に生えてる花の蜜を吸っていたけど、ここでは空を飛びたいというくらい贅沢だ。
 太陽の光が届かない、深度約一万三千メートル。
 アビスの呪いは全感覚の喪失と、それに伴う意識混濁、自傷行為。
 上昇負荷を避けるため、ゆっくりちょっとずつ登って前線基地の屋上へ。五層がなきがらの海と呼ばれる由縁を一望できた。
 祭壇を中心に渦が巻いている。オースは島だから海は身近だったけど、暗い水の色と激しい音に背筋が震えた。
 おじ様の手が私を支えるように肩に置かれた。安心して、縁のぎりぎりに立つ。

「この渦から効率的に電気を得るにはどうすべきか、あなたのパパと何日も話し合ったものです」

 私の知らないパパの話。奈落の最前線でパパが働いていたことは私の誇りだった。そして、今は新しい気持ちが生まれている。

「私も早くパパみたいにおじ様を手伝えるようになるわ」
「ええ、楽しみにしてますよ、ルカーチャ」

 

 私は広い前線基地の全てを知っているわけではなかった。私が入っていい場所より、立ち入り禁止の方が多かったから。言いつけを守って過ごしていたら、祈手の一人から「ルカーチャは手のかからない子だな」と言われたけど、当たり前のことだと思う。
 子供は私しかいなかったから遊び相手はいなかったし、おじ様は忙しいからたまにしか会えなかったけど、やらなきゃいけないことはたくさんあった。掃除、洗濯、おじ様の手伝いをできるようになるための勉強。数学、物理、医学……オースの学校よりずっと難しくて実践的。
 おじ様に手解きされながら原生生物の解剖だってした。それまで綺麗に切り分けられたお肉しか見たことがなくて、お腹の中から体長の何倍もある腸をずるりと引きずり出した時は気持ち悪くなって座りこんでしまった。

「おやおや、大丈夫ですか? 今日はここまでにしましょうか?」
「ううん、平気。ちょっとびっくりしただけ」

 長い長い腸が自分のお腹にも詰まってると想像すると、首筋がぞわぞわした。頭を振ってを振って思い浮かんだ映像を追い出し、深呼吸をして立ち上がる。……マスク越しでもわかる血の臭いをいっぱい嗅ぐはめになった。
 お腹の開いた死体と向き合って、おじ様の言う通りに内臓をとり分ける。

「胃袋を破かないよう気をつけて、そう、上手です」

 最後に開いたお腹を縫い合わせれば今日の実習は終わりだ。

「とても綺麗に縫合できてますよ。飲みこみが早いですね」
「裁縫は得意なの」

 世話係の祈手と練習してたことは秘密。布と皮や内臓では感触が全然違うけど、上手くできることがあると気分が落ち着いた。

「パパに似て器用なんですね。私の仕事を任せられる日も近いでしょう」

 マスクの下で私は満面の笑みを浮かべた。

 

 その日は突然やってきた。
 私は洗濯場で見つけたベッドシーツの穴をつくろっているところだった。部屋に入ってきたおじ様はただならぬ様子で、私は慌てて針を置いて駆け寄った。

「どうしたの? 何かあったの?」
「ルカーチャの助けが必要なのです」
「おじ様のためなら私、なんだってするわ」

 躊躇いはなかった。おじ様がずいぶん気弱なものだから、もしかして私は主人公じゃなくて、主人公を助ける側なんじゃないか、ってそんな考えが頭をよぎった。

「ありがとうございます。本当にあなたは頼りになりますね」

 連れて行かれた先は原生生物を解剖した部屋だった。恥ずかしかったけど裸になり、固いベッドに仰向けに寝る。
 腕に注射を打たれると、頭がふわふわした。縛られているわけじゃないのに、体を動かそうとしてもできない。

「……おじ様」
「ここにいますよ」

 黒い仮面が覗きこむ。天井の光が眩しい。瞬きはできたけど、いつもよりゆっくり動いた。

「体に印を書いていきます」

 マーカーが肌の上を走ってくすぐったい。視界の端で、おじ様がペンからメスに持ち替えたのが見えた。

「力を抜いて、楽にしてください」
「あっ……」

 メスが肌を突き破った。マーカーに沿って肉を裂いていく。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 でも、我慢した。孤児院で掃除当番を押しつけられたり、食事に虫を入れられたり殴られたりしても耐えたように。お伽話の主人公はそうしていたから。
 歯を食い縛れなくて、浅い呼吸を繰り返す。助けて、と言いそうになって、代わりに呼ぶ。

「おじ様……」
「はい。どうしました?」

 続く言葉が思い浮かばない。黙っている間に私の体がバラバラになっていく。原生生物を解剖した時のように、おじ様が切り落とした私の足を脇の台に置く。私の長い長い腸はおじ様の手にも収まらなくて指の間から垂れ下がった。それから、おじ様が器用だと褒めてくれた手。

「……ずっと、夢を見ていたの……誰か……孤児院から、連れ出してくれないか……」

 悲鳴は上げなかったけど、痛みで喘いで、言葉は途切れ途切れになった。
 そう、私はずっと都合の良いお伽話に夢を見ていた。

「おじ様……大好きよ……」

 私を孤児院から連れ出して、アビスに連れて来てくれた人。私の優しい魔法使い。
 なんて都合の良いお伽話――……都合の良いって誰にとって?
 おかしな考えが頭に浮かぶ。

「愛してますよ、ルカーチャ。私の小さな助手。あなたのお陰で研究は先に進むでしょう」

 舌が動かない。口がだらしなく緩んだ。その微笑みに意味なんてなかった。

 


依瑠さんには「都合の良いお伽話に夢を見ていた」で始まり、「その微笑みに意味などなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以内でお願いします。

#書き出しと終わり #shindanmaker
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