第12話 眩しいものは

 アンドロメダが穢れた血と駆け落ちした。ブラック家の面々が知ったのは翌朝のことだった。朝食の時間になっても姿を見せないアンドロメダをクリーチャーが呼びに行くと、誰もいない枕元に手紙が置いてあった。テッド・トンクスのもとに行く、と飾り気のない言葉が告げていた。
 一族団欒のはずの休暇は一転し、リビングには重苦しい空気が漂っている。クリーチャーが用意した朝食はろくに手をつけられずに皿の上で冷めるのを待っていた。

「アンドロメダがそんな……」

 レギュラスはショックのせいか青ざめ、クリーチャーが心配そうに見上げている。
 ナルシッサはふんと鼻を鳴らし、実の姉を軽蔑し切った顔で言った。

「よりによってハッフルパフのあれとはね。男の趣味が悪いなんてものじゃないわ、最悪よ」

 オリオンがアルタイルの目を見て訊く。

「アンドロメダとその男の関係を知っていたか?」
「いいえ、何も」

 アルタイル息をするのと同じくらいの自然さで閉心術を使った。昨夜のことは誰にも言っていない。力ずくでとめられなかったことを責められるのではないか、「出ていけ」と言った自分の行動が間違っていたのではないかと恐れていた。

「二人が一緒にいるところは見たことがありますが、監督生の仕事をしているとしか思いませんでした」
「アルタイルの言う通りですわ、叔父様。二人が付き合っているなんて噂は聞いたことがありません。ずっと私たちに隠していたのよ」

 ガシャン、と食器が音を立てた。アンドロメダの父親が乱暴にテーブルに手をついて立ち上がったのだ。

「連れ戻してくる」
「いいえ、その必要はないわ」

 ヴァルブルガが毅然と立ち上がり、女王のような足どりで二階の客間に向かった。アンドロメダの父親は怒りで拳を震わせていたが、文句を言わずに後を追った。アルタイルたちも従順な家来のようについていく。
 アルタイルは母もアンドロメダを引き止めなかったことに安堵した。昨夜の自分の行動は間違いではなかったのだ。
 天井の高い客間はまるで玉座の間のように立派だった。オリーブグリーンの壁一面をタペストリーが覆い、“純血よ永遠なれTonjours Pur”の言葉と共に大樹に見立てた家系図が金糸で綴られている。シグナスとドゥルーエラの間から分かれた枝の先にアンドロメダの名前はあった。
 ヴァルブルガは握った杖をギロチンの刃のような鋭さで振り下ろした。緑の炎がアンドロメダの名前を飲みこむ。後には丸い焼け焦げだけが残された。

「あれはもうブラック家の者ではないわ」

 異議を唱える者はいなかった。

 

 

***

 噂は魔法を使わなくても広まるものだ。それが寮と血の垣根を超えた恋であればなおさら好奇心を掻き立てるらしい。

「聞いた? アンドロメダ・ブラックのこと」
「よくやるわ。今の状況でわざわざ安全な身分を捨ててマグル生まれと一緒になるなんて」
「いけすかない純血だと思っていたけど見直した」

 クリスマス休暇が終わった大広間は朝からゴシップで盛り上がっていた。アルタイルは砂糖入りの紅茶を口にしながら、苦い物でも飲んだのかのように難しい顔して聞いていた。

「顔が怖いぞ。間違って塩でも入れたか?」

 エリックが笑ってからかい、冗談めかして続ける。

「朗報だ。我が姉上が目を本格的にぎらつかせ始めた。いずれ僕らは兄弟になるだろう」

 同世代の由緒正しい純血の淑女の数を考えれば、軽い調子とは裏腹に現実味のある話だった。
 雪片と白い羽根を撒き散らしながら梟の群れが窓から入ってきた。そのうちの一羽が真っ直ぐアルタイルの前に着地する。ブラック家の梟だ。

「相変わらず綺麗な羽だ」

 ウィリアムがうっとりと呟く。梟は満更でもなさそうに澄ました顔で恭しく、くわえた紙切れをアルタイルに差し出した。

「こいつ、ウィリアムの前だとしおらしいな。僕だけの時はもっと雑だろうに」

 梟は余計なことは言うなといわんばかりに半眼で主人を見上げた。

「今度は梟に逃げられるわよ」

 少量のサラダをフォークでつつきながらローズが言った。胃腸が脂っこいものを受け付けないという理由で菜食主義者である。
 ウィリアムは相好を崩して、柔らかなフクロウの羽を撫でた。

「いつでもうちの子になっていいんだからな」
「君のお父様は鳥アレルギーじゃなかったか?」

 羊皮紙の切れ端には差出人の名前がなかったが、筆跡を見れば十分だった。

『今日の午後五時、去年の場所で』

 さて、どこのことだろう? アルタイルは記憶を掘り返した。シリウスとすれ違う以外で会った場所といえば……クリスマス休暇明けに話をした時、レギュラスに手紙を出さなかったことを問いただした廊下だろう。

 

 

 本日最後の授業が終わるや、アルタイルは待ち合わせ場所に向かった。吐く息が白く染まる。人通りのない廊下は凛とした寒さが張り詰めていた。
 シリウスは壁に背を預けて待っていた。アルタイルに気づくと壁から離れ、鋭く睨みつける。

「テッドのことを穢れた血って言ったんだってな」
「アンドロメダから聞いたのか」

 ブラック家を離れたアンドロメダだが、家に背いてグリフィンドールに入ったシリウスとは連絡をとり続けていても不思議ではない。
 たが、シリウスはなぜ怒っているのだろうか。純血主義のブラック家の魔法使いに向かって、今さら奇妙な問いかけするものだ。

「どうなんだ?」
「言ったよ。それがどうした?」
「お前はそんな奴じゃなかっただろ。俺がグリフィンドールに入る時は後押ししたのに、なんでアンドロメダにはしなかった。なんで送り出してやらなかったんだ!」

 アルタイルは言い返そうと口を開き、結局は後ろめたさで喉の奥が締まった。グリフィンドールを選んだことはシリウスにとって最善だろうと思うし、そこに嘘はない。ただ、アルタイルにとって皆の期待を背負う弟が道を外れることが都合が良かったことも事実で、打算があったことを否定しきれない。
 何も言わない兄を唾棄するようにシリウスは続ける。

「純血主義のふりをしているうちに本当にあんなクソ馬鹿げた考えに染まったか?」
「なんだと」

 アルタイルは反射的に睨み返した。

「覚えているか? 昔、お前が地下牢に閉じ込められたことをさ。『マグル生まれだって優秀な魔法使いはいる。マグルから生まれたってだけで純血より劣っているとは思えない』――お前はそう言ったんだ。だから俺はずっと信じていたんだ。アルタイルは、あのクソババアやオヤジとは違うって。良い子のふりをしているだけで腹の中で考えていることは俺と同じだってな。なのに、テッドを穢れた血なんて言うなんてがっかりだ」

 アルタイル自身が忘れていたことをシリウスが覚えていることにまず驚き、シリウスが大事に持っていたものを自分は捨てたということが胸に突き刺さった。買い被りすぎだ、と叫びたくなる。自分には弟のように確固とした信念はないから状況によって行動が変わるのに、そうも信じられては苦しいだけだ。

「アルタイルがなんで良い子にするのか俺にはわかんねえよ。あの家のどこがいいんだか」
「シリウスにはわからないだろうさ」

 アルタイルは睨みつけたまま言った。自分から家を捨てたシリウスに、家に捨てらるのが怖いアルタイルの気持ちはわからない。まして母様に愛されているシリウスには。
 アルタイルがシリウスと同じことをしたら、きっと母様は迷いなく切り捨てる。アンドロメダの名前を家系図から焼き消した時のように。優秀な弟がいるのだから、不出来な長兄に執着する理由はない。

『シリウスが長男だったらよかったのに』

 たくさんの人に言われた言葉は呪いのように心にへばりついていた。
 シリウスの決して折れない真っ直ぐさがまぶしい。嫌でも自分の中途半端さが照らし出される。親に捨てられるのが怖くて、親の期待にこたえたくて、シリウスやアンドロメダのように自分から家を捨てる勇気もなくて。それでも自分はブラック家を選んだのだという意地で、目を焼く強い光と向き合う。

「僕はブラック家の魔法使いとしてふるまうと言ったはずだぞ。忘れたのか? これくらいのことでいちいち突っかかってくるな」
「それはホグワーツにいる時の話だろ? アンドロメダしかいない時はそんなことしなくていいじゃないか。本当の純血主義にでもなったのか?」
「誰もがお前みたいに生きられるわけじゃないんだ」
「そんなの知るか」

 一言で切り捨てられる強さはシリウスの美点だ。だが、アルタイルは捨てられたものを放っておくことができない。

「お前は母様や父様を悲しませていることをどう思っているんだ? 僕は二人の期待を裏切れない」
「だからってなんでそうなるんだ馬鹿。親の間違いをほっといて、自分までその間違いに付き合うのかよ。本当に馬鹿だ」
「うるさい」
「バーカ、バーカ! 何度でも言ってやるよ!」
「この……っ!」

 アルタイルの手が杖に伸びた。シリウスが好戦的に笑った。

「お、やるか」

 二人同時に杖を向けた。

「Densaugeo!」
「Petrificus Totalus!」

 シリウスの放った歯呪いがアルタイルの脇を通り抜ける。杖を手に取ると同時に、片足を引いて半身に構えたお蔭だ。アルタイルの金縛りの魔法は、素早く横に跳んだシリウスに避けられた。

「Expelliarmus!」

 続けて放った武装解除の閃光も、身をかがめたシリウスの頭上を駆け抜け、廊下の端で仁王立ちしていた銀色の甲冑に直撃した。胸当や兜や籠手がけたたましい音を立てながら崩れて散らばる。

「Furnuculus!」
「Drensoripeo!」

 飛んできた鼻呪いをアルタイルは魔法で弾けさせる。閃光が宙で花火のように散り、二人の足元に光の欠片が落ちた。
 シリウスが楽しそうに笑い、活き活きとした足取りで休むことなく動き続ける。アルタイルは半身の構えのまま、家庭教師から習った通りの決闘の所作で応戦した。物音を聞きつけてやって来たピーブズが大声で囃し立てようとも、何事かと生徒たちが集まってきても二人には関係なかった。

「何をしているのですか! やめなさい!」

 とうとうマクゴナガル先生が来た。
 だが、その時にはもう勝負はついていた。シリウスの放った呪文がアルタイルに直撃し、アルタイルは声を立てて笑っていた。反撃しようにも、腹からひっきりなしにわき上がる笑い声のせいで呪文が唱えられない。くそ、無言呪文が使えたらこれくらいで負けないのに、と心の中で舌打ちする。

「私闘は禁止ですよ。まったく、またあなたですか、シリウス。アルタイル、あなたには失望しました」

 マクゴナガルが杖を振った。呪いが解かれて笑いがおさまった。アルタイルは真っ赤な顔で息をついき、次は負けるものかとシリウスを睨みつけた。

(title by ジャベリン