第14話 試合、試験、恐怖

 雪が溶け、枯れ葉色の芝が青く元気を取り戻すとクィディッチの季節だ。ホグワーツの競技場は満席だった。今日はスリザリン対グリフィンドール、優勝杯をかけた試合だった。アルタイルもスリザリンの応援席で観戦していた。
 グリフィンドールの選手が、スリザリンのディフェンスをかいくぐり、ゴールポストに接近する。鋭く投げられたボールを、キーパーが棍棒で打ち返した。

「よしっ」

 レギュラスが小さくガッツポーズをした。頬を紅潮させて試合に夢中になっている。楽しそうな姿に、アルタイルは口元を緩めた。試合より、試合の展開に一喜一憂する弟を見ている方が楽しい。
 はっとレギュラスが息をのんだ。

「危ない!」
「テムズ川に沈めるぞ! ×××野郎!」

 ウィリアムは口汚く罵りながら中指を立てた。グリフィンドールのビーターが撃ったブラッジャーが、危うくスリザリンの選手の鼻をへし折るところだった。
 エリックは拳を握りしめて叫んでいる。

「やり返せ! あいつを叩き落とせ!」

 競技場は高ぶる戦意と熱気に包まれていた。蛇と獅子の二つの寮旗が風にあおられ、炎のように揺れている。
 ローズがきゃあと短い悲鳴を上げ、興奮のまま隣のエリックの肩を何度も叩いた。

「スニッチだわ! ポッターが見つけた! スリザリンのシーカーは何をしているのよ!?」

 ジェームズ・ポッターが矢のように飛び出していた。向かう先には金に輝くスニッチ。ポッターの動きを見て、スリザリンのシーカーが慌てて追随した。

「気づくのが遅い! それじゃ間に合わない!」

 レギュラスがもどかしそうに拳を握りしめた。
 ジェームズが真っ直ぐに手を伸ばす。眼前に壁が迫ってこようとスピードを落とさず、見ている方が思わず身構えてしまくらいの勇敢さで。ドン、と鈍い音がした。ジェームズがぎりぎりで箒の柄を引き上げ、両足で壁を蹴って衝突を回避したのだ。
 アルタイルは固唾をのんで見ていた。いつの間にかレギュラスからジェームズに目が釘付けになっていた。
 ジェームズは力強く空に拳を突き上げた。その手の中から抜け出そうと、スニッチが薄い翅をばたつかせている。歓声がわき上がった。実況が叫んでいる。

「ポッター選手やりました! スニッチが……っ、見事スニッチを捕まえました! 優勝です! グリフィンドールの優勝です!」

 観客席のグリフィンドール生たちが次々にフィールドに駆け下り、大歓声で英雄を迎えた。その中にはシリウスの姿もあった。今日の青空と同じくらいに晴れやかな笑顔だった。

 

 

***

 クィディッチの熱を冷ますように、課題の量が増えた。学年末試験はすぐそこだぞと先生たちが圧力をかける。試合に誰よりも熱狂していたマクゴナガルもいつもの厳しさ――いや、いつも以上だ――で授業を進めた。

「アルタイル先生、ちょっと見てもらえますか? どうしてもうまくいかないんです」

 ハロルドが変身術の課題を持ってきた。手にした小瓶の中には何匹かの黄金虫といくつかのボタンが入っている。ボタンは節足があるもの、翅があるものとどれもが虫の名残をとどめていた。

「ああ、いいよ。小さい分、細かいところが難しいんだよな」

 アルタイルは不完全なボタンを一つとり出して、手のひらの上で転がした。
 この時期のスリザリンの談話室では、試験にそなえて教え合う寮生たちの姿が多い。寮外不出の過去問集が回し読みされ、進路がかかった上級生は鬼気迫る形相で参考書と向かい合っている。

「あーもうっ、なんで毎年、闇の魔術に対する防衛術の先生は変わるんだ!?」

 エリックの叫びが談話室にこだました。

「今年の先生は筆記試験重視じゃないか、クソ! 去年の先生ままがよかった! 甘々で余裕だったのに!」
「うるせえ!」

 上級生が棚に飾られていた頭蓋骨を投げつけた。運動神経は悪くないエリックはなんなくキャッチした。

「なぐさめてくれ、ドクロちゃん。僕もボガートと戦う試験がよかった。論述なんて死だ、落第だ。トロール並みの馬鹿だと告げられてしまう」
「エリックの怖いものって何かしら? 試験用紙?」

 ローズが羽ペンを置いて、クッキーに手を伸ばした。休憩することにしたようだ。ボガートはまね妖怪と呼ばれ、遭遇した人の恐怖するものに変身する性質を持っている。

「そうだ。試験用紙を鳩にして笑い飛ばしてやるんだ」
「つまらないわ。もっと面白いものにした方が、追加点がもらえるんじゃない? ウィリアムは?」

 ローズが、黙々とレポートを書いているウィリアムに話を振った。エリックはにやにやと笑う。

「ムカデだろ? お前が魔法薬学の時に実はびびっているの知っているぞ」
「噛まれると痛いんだからな! ムカデを甘く見るなよ!?」
「私だったらケーキに変身するのかしらね」

 ローズは甘いクッキーをかじった。ウィリアムが訝しげにきいた。

「それは好きなものじゃないのか?」
「好きだけど怖いのよ。食べ過ぎると胸焼けするし太るし、でも食べるのをやめられない恐怖の食べ物よ。アルタイルは? あなたの怖いものって何かしら?」
「怖いものか……」

 すぐに思いついたのは両親から勘当されることだった。ボガードが変身するとしたらどうなるのだろう。
 クリスマスの朝の出来事が頭に浮かぶ。
 布が焼ける臭い。
 壁一面に枝を伸ばす家系図にはいくつか焦げ跡があった。オリオンとヴァルブルガの枝から分かれた先、三つのうちの一つが燃えている――

「ベラトリックスじゃないのか?」

  エリックの言葉に、家系図のイメージは凄みのある笑みを浮かべるベラトリックスの姿に置き換わった。嗜虐的に目を細め、唇が弧を描き、杖をくるくる弄んでアルタイルをどう痛ぶろうか考える姿に。

「待て、シャレにならないそれは。ボガートが変身したなんてベラに知られたら」

  想像が現実になる。『私が怖いなんてベラお姉様は悲しいわ』と心にもないことを言いながら、いじめる理由ができた歓喜で瞳を輝かせるだろう。アルタイルは頭を振ってベラトリックスに化けたボガートの姿を追い払った。
 ふとセブルスの姿が目に入った。談話室の片隅のソファに腰かけている。隣にはマルシベールがいた。意外な組み合わせだった。マグル生まれのリリーと親しいセブルスと純血主義のマルシベール。
 あの二人って仲良かったのか、とアルタイルは二人と同級生のハロルドにきこうとしたが、熱心に変身術の練習をしていたからやめた。なんであれセブルスが寮内で孤立せず、友人がいるのはいいことだ。