第16話 歪に積み上げたもの

 夏の日差しが差し込む部屋で、アルタイルは本を読んでいた。ロンドンのグリモールド・プレイス十二番地にあるブラック邸の自室だというのに、生真面目に姿勢よく椅子に座っている。

「おい、アルタイル」

 呼びかけとほぼ同時にドアが開いた。返事を待たずに入ってきたのはシリウスだった。今年の夏は地下牢に閉じこめられないように気をつけて比較的大人しく過ごしているが、親の目を盗んで熱心に屋敷の探索をしていた。大方悪戯に使えそうな物を探しているのだろう。
 階下で騒音がした。母が物に八つ当たりしているようだ。

「母様と喧嘩したのか? 僕の部屋は避難所じゃないんだが」
「珍しいもの読んでるな。図鑑か?」

 シリウスはアルタイルの後から本を覗き込んだ。イタチの生態について図入りで説明している。動物図鑑だ。それも魔法生物ではなく、魔力を持たない生き物たちについて書かれる。魔法生物学のレポートのために読んでいるわけではなかった。
 アルタイルはため息をついた。シリウスが話題を変えたことが、肯定の証だった。

「変身するならどの動物がいいか考えているんだ。爬虫類は冬場は活動できないし、やっぱり哺乳類だよなあ」
「へえ……」

 シリウスは興味をひかれた様子で、机に積まれた本の山を見た。広い机は書き物をする最低限のスペースを残し、あとは本でうまっていた。クリーチャーには部屋の掃除をする時に机の物には触るなと言っているので、きちんと整頓された部屋の中でそこだけが乱雑だった。
 動物に変身するアニメ―ガスは高度な魔法である。今年で四年生になる学生には手の届ない魔法の結晶だ。それでも手をのばさなければ、いつまでたってもできないままだ。それにアルタイルにとって姿形を変える魔術の一端に触れることは楽しいことだった。

「マクゴナガル先生から借りた本もあるんだ。勝手に持っていくなよ」
「じゃあ今、断ればいいな」

 シリウスならきっと自分よりも早くアニメーガスを習得するだろう。その想像はアルタイルを憂鬱にしたが、教えるのを厭いはしなかった。

「一番上の本は、変身した動物の性質にどれくらい影響を受けるか最新の論文だ。単に変身する方法を知りたいなら、下にある青い表紙の本がおすすめだ。……アニメーガスは魔法省に登録しないとならないって当然知っているだろうが」
「わかってるさ。で、下って……どうやって取れってんだ」

 触れれば崩れそうな不安定に積まれた本の山を前に、シリウスは呆れたように言った。

「マグル式に」

 シリウスは、屋敷の中でなら魔法を使っても魔法省にばれないと知らない。アルタイルも父も言ってないからだ。自由に魔法を使えると知ったシリウスが大人しくしているわけがないと二人の意見は一致していた。

「崩れるだろ、絶対」
「そっとすれば問題ない」
「おい本気で言ってるのか」
「僕はいつもそうしている」
「冗談だろ?」

 シリウスが本の山に手を出すと、繊細な均衡で保たれていた山はあっけなく崩れた。

「何やっているんだ」
「どう考えてもお前の積み方が悪いだろ!? 俺が悪いみたいに言うな!」
「大丈夫、アルタイル? すごい音がしたけど」

 レギュラスが入ってきた。シリウスを見て眉間に皺をよせる。机や床に散らばる本の惨状で事態を把握したようだった。

「何やってんの、シリウス」
「俺か!? いや、俺だけどな! 真っ先に決めつけるなよ!」
「やっぱりシリウスのせいじゃないか」
「まずアルタイルに本は積むもんじゃないって言ってやれ」
「本棚に入りきらないんだから仕方ないだろ」

 棚には本が隙間なく詰めこまれていた。変身術に呪文学、歴史書、小説――様々なジャンルの本が並んでいる。ないものといえばマグルに関するものくらいだ。
 シリウスは弟の抱えている新聞に目をとめた。

「おえ、あんな奴のスクラップか。趣味の悪い」

 新聞の一面を飾る写真には、空に浮かぶ髑髏と蛇のシンボルが写っていた。ヴォルデモートや死喰い人が犯行現場に残していく“闇の印”だ。レギュラスの部屋には、クィディッチのポスターと並んで、ヴォルデモートのスクラップが貼ってある。

「あのお方を貶すな、シリウス・ブラック。穢れた血や血を裏切る者から魔法界を取り戻す英雄だぞ」
「どこがだ。なあ、アルタイル」

 シリウスがアルタイルの方を向いた。レギュラスはアルタイルはこっちの味方でしょと目で訴えかけ、話をふった弟の方はそんなことないよなとばかりにニヤニヤと笑っていた。二人の内心が開心術を使わなくてもわかった。

「……暴力は嫌いだ」

 不満そうなレギュラスの顔を見ながらアルタイルは続ける。

「正しい主張は正しい手段でなければ伝わらない」
「穢れた血が死んだって別にいいでしょう?」
「馬鹿野郎! そんなわけあるか!」

 シリウスが怒鳴った。

「血なんて関係ねえ、同じ命だぞ! 死んでいいなんて言うな!」
「これだからシリウスは純血の自覚がないんだ。同じなわけないでしょう? 魔法使いの血の歴史より守るものなんてない!」
「あー二人とも……」
「すっこんでろ、日和見主義のことなかれ野郎!」
「アルタイルは黙っていて!」

 血の気が多いところは似た者同士のシリウスとレギュラスだった。自分の信じるものに真っ直ぐなところも。だから二人は衝突する。

「母様譲りだよなあ……」

 アルタイルはひっそりと呟いた。自分にはない苛烈さだった。