黒い雲がロンドンの上空に垂れこめていた。九と四分と三番線に停まる汽車は雨で濡れている。ホグワーツの始業日は生憎の土砂降りだった。
アルタイルとレギュラスは父親のつきそい姿現しでホームに到着した。次いで、母親がシリウスの腕をしっかりとつかんで現れた。ヴァルブルガは雨に眉をひそめ、傘を差すためにシリウスの腕を放した。その一瞬。
「じゃあな!」
シリウスが駆け出そうとした。だが、即座に捕まった。
母は昨年の経験からホームに着くなり逃げ出そうとすると予想していたのだろう。片手で息子の腕をつかみ直し、反対側の手で開いた傘を優雅にかかげた。
「挨拶もろくにできない子に育てた覚えはないわ」
シリウスが力任せに母親の手を振りほどいた。
「俺もあんたに育てられた覚えはな――」
「シリウス!」
とっさにアルタイルはシリウスの肩をつかんだ。母様にとって忠実な息子でいたかった。素行不良の弟とは違うのだ。
「僕がしっかり面倒を見ますから安心してください、母様」
「放せよ。痛っ」
シリウスの足をレギュラスが踏んだ。末弟は間違いなく忠実な息子だった。左にアルタイル、右にレギュラス。シリウスは兄弟に両脇をはさまれ逃げ場がない。
レギュラスがため息をついた。雨に濡れた黒い髪の毛先から滴が垂れる。
「こんな粗暴な人が兄なんて最悪だ」
「人の足を踏んでおいてよく言うぜ」
シリウス対レギュラの争いが始まりかけたが、オリオンが食い止めた。
「風邪をひかないうちに早く汽車へ」
「はい。いってきます、父様、母様。去年より良い成績を残せるよう頑張ります」
「クリスマスには帰ってきます。お体に気をつけてください」
話している間もシリウスは逃げ出そうともがいていたが、二人はびくともしなかった。母親に腕力で勝てるようになっても、年の近い兄弟二人がかりでは分が悪い。
「ああもうっ、こんな家に帰ってくるもんか!」
鬱憤は叫び声になって放出された。
何があったのかと周囲の注目が集まる。アルタイルとレギュラスは、シリウスを汽車の中に連れて行って好奇の視線から逃れた。アルタイルが汽車の戸を閉める。その時にみたのは、美しい顔を怒りで醜く歪める母の姿だった。
車体を叩く雨風の音に負けず、レギュラスは語気を荒くしてシリウスに詰め寄った。
「シリウス、なんてことを言うんだ!」
「あの女がどれだけヒステリックかみんなに見せればいいんだ!」
「母様を侮辱するな」
「はっ! 俺の最大の不運はあの女から生まれたことだ」
互いに嫌悪をむきだしにしてシリウスとレギュラスは睨みあった。二人の仲は日増しに悪くなっている。夏休みの間、クィディッチを一緒にすることもなかった。顔を合わせれば喧嘩ばかり。三人でクィディッチをプレイしていた昨年の夏が、ひどく遠い昔のようだった。
ブラック家の屋敷が広いことはアルタイルにとって小さな救いだった。いがみ合う家族と始終顔をつきあわせるのは息がつまる。アルタイルが自室で変身術の本と向き合う姿は、書斎にこもるオリオンの背中に似ていた。
隣の車両に続くドアが開いた。
「あー、お邪魔だったな」
ウィリアムだった。早くもホグワーツの制服に着替えて準備万端だ。あるいは、マグルの父親とのつながりを隠すためかもしれない。
アルタイルは素早く歩み寄って、ドアの隙間に左足をねじこんだ。ドアノブに手をかけているウィリアムのローブをつかむ。
「兄弟の団欒を邪魔したようで、俺は、お暇しようと思うのだが、この手は何かなアルタイル」
「いいや、邪魔だなんてとんでもない。会えて嬉しいよ、ウィリアム」
シリウスとレギュラスは第三者の登場で冷静になったようだ。
「ふん、純血の連中とつるんでろ」
シリウスは言い捨てると、反対側の車両に移動した。アルタイルはその眼差しにはっきりとした軽蔑の色を見てとった。
残されたアルタイルたちは、ウィリアムの案内でエリックとローズのいるコンパートメントに行った。車内は外の雨も手伝って陰鬱な暗い雰囲気に満ちていた。
エリックはぐったりとした様子で背もたれに身を預けている。足元には、エリック曰く激マズの酔い止めの薬の瓶が転がっていた。その向かいの席では、青白い頬のローズが気怠そうに壁にもたれかかっていた。おそらくまだ夏バテを引きずっているのだろう。
「あぁ……アルタイル、レギュラス、何か飲み物はないか……。口直しのジュースを忘れてきたんだ」
アルタイルは紅茶の入った瓶を渡した。クリーチャーが今朝淹れた甘いミルクティーだ。一気飲みしたエリックの顔はまだ冴えない。
「うえー……薬の味が消えない」
「清めの呪文で口の中を洗ってみるか?」
アルタイルは魔法で自分とレギュラスを乾かすと、杖をしまわずに振るまねをした。
ウィリアムは冷静につっこむ。
「よけい気持ち悪くなるに一シックル」
「でも、意外といけるかも?」
「お兄様の提案だからって賛成することないのよ。薬の効果まで流されてる酔うに賭けるわ」
「賭ける金があるなら僕に水を買ってきてくれ」
汽笛が響き、ホグワーツ特急が走り出した。大粒の雨が筋になって、窓ガラスの表面を流れてく。
昼近くになると車内販売の魔女が来て、レギュラスは日刊預言者新聞を買った。広げた新聞をウィリアムが横から覗く。
「お、闇の帝王の記事か」
その頃にはエリックも復活しており、「読ませてくれ」と身を乗り出した。半分寝ていたローズも目を開けた。
『一家殺害 闇の帝王の犯行
八月三十一日午前六時頃、マンチェスター郊外にある住宅の上空で、闇の印が浮かんでいると付近の住民から通報があった。闇祓いが駆けつけると、その家に住むサイム夫妻が殺害されていた。夫妻にはどちらも外傷があり、居間には戦闘の跡があった。五歳の長男には人狼の咬み傷があり、病院に搬送されたが間もなく出血多量による死亡が確認された。一家は純血であるが、闇の帝王を批判していたという』
記事には写真が添えられていた。一軒家の頭上に骸骨が浮かんでいる。その口から長い舌のように現れた大蛇が、カメラマンを威嚇するように牙を向けていた。
読み終わったエリックは満足そうに足を組んだ。
「純血のくせに血を裏切るからだ」
「せっかくの純血がもったいない。何も子供を人狼に襲わせなくてもいいだろう」
アルタイルは仏頂面で言った。闇の帝王のやり方は賛同できない。
「あら、成長したら血を裏切る者になっていたわ。今のうちに殺すなり人狼にしておくのが正解よ」
「君は容赦がないな。血を裏切る親から引き離して育てればいい」
「それですんだらシリウスはああならなかった」
レギュラスが言い切った。それを言われると返す言葉がなく、アルタイルは腕を組んでうなった。エリックがにやりと笑う。
「さすがレギュラスだ。なあ、ブラック家は闇の帝王と知り合いじゃないのか?」
「いえ、残念ながら。できれば今すぐにでも死喰い人になって、帝王のお役に立ちたいのだけど」
レギュラスは悔しがっていた。一年生はホグワーツに自分の箒を持ってきてはいけないという規則に不満をこぼした時と同じ口調だった。
「そうか。知ってたら紹介してもらおうと思ったんだが。あーあ、僕も死喰い人になりたい。そして穢れた血を殺すんだ」
エリックが、あいつにあいつとホグワーツにいる穢れた血の名前を挙げていく。それならあいつもだ、とウィリアムも加わり話が盛り上がった。
アルタイルは黙って聞いていた。本気で殺せるなんて誰も思ってない無邪気な会話だった。闇の帝王も死喰い人も、遠い世界の話だった。今はまだ。