第34話 子供と大人の狭間

 OWL試験が終わった。試験から解放された生徒たちは教室から出ると、朗らかな日差しに誘われるように校庭に向かった。アルタイルもエリック、ウィリアム、ローズと一緒に木陰に座ったが、どうしても問題文が頭から離れず、鞄から教科書をとり出した。

「昨日のうちにここを読み返していれば……よりによって魔法薬学で間違えるなんて……」
「あー、もう試験の話は終わり!」

 エリックから悲鳴が上がった。

「こんなにいい天気なんだから日向ぼっこでも昼寝でもしよう。ウィリアムを見習え。ほら、しまわないとこうだぞ――Expelliarmus」

 エリックが武装解除の呪文を唱える。アルタイルの手から吹き飛ばされた教科書は、くるくる回転して芝生の上に落ちた。
 アルタイルは呆気にとられ、風が適当にページをめくる様子を眺めた。

「本って武装か?」
「僕はそう思う」
「知識は武器と言うし。少なくともアルタイルとウィリアムにとっては遊びや暇つぶしの物ではなかったでしょう? 特に今年は」

 ローズは言って、仰向けに寝ているウィリアムに目を向けた。緊張の糸が切れたのか倒れるように眠ってしまったのだ。
 空は青く晴れ、風が気持ち良い。

「まあ、昼寝もいいかもな」

 アルタイルは試験が終わった解放感に身を委ねることにして、空に向かって大きく腕を伸ばした。

 明日には家に帰るという夕方、アルタイルは空き教室でアニメーガスの練習をしていた。翼は奇妙にねじくれ、尾羽は短すぎ、色は黒一色だったが確かに鳥といっていい姿になれた。人の姿に戻り、姿見の前で満足げにうなずく。この調子なら来年度はマクゴナガル先生に良い報告ができるだろう。

「またやってるの?」

 ジュリアが入ってきた。相変わらず華やかな髪留めをし、爪はミントグリーンに塗った上に銀色のストーンがついていた。もう薬草学で土いじりをしないから遠慮なくできるというわけだ(魔法薬学は履修していない)。

「そろそろ夕食なのによくやるわねえ」
「もうそんな時間?」

 慌てて壁の時計を見た。あと二、三回変身してコツをつかみたいところだが、諦めた方が良さそうだ。

「危なくお腹を空かせたまま寮に戻るところだったわね」
「ああ、助かったよ。部屋に置いていた保存食は昨日のうちに胃の中にしまったし、厨房にもらいに行っては監督生として締まらないからな」
「他にも私に言うことがあるんじゃないかしら?」

 アルタイルに思い当たることはない。からかうような口調からして重要なことではなさそうだ。

「卒業おめでとう」

 無難な言葉を投げかけると、わざとらしいため息が返ってきた。

「プロポーズしてくれないのね」
「そんな仲ではないだろ」
「冗談に付き合ってくれてもいいのに」

 ジュリアは可愛らしく唇を尖らせるがとんでもない。言ったが最後、言質を取られること間違いなしだ。
 玉の輿狙いだと正直に言うジュリアはアルタイルにとって気楽だった。偽りの恋愛に付き合う気はないし、本気の恋心を抱いている相手と違い断って泣かれる心配がない。もっとも昨年の晩秋からは、女子生徒からのアプローチが減って平穏な日々を過ごしているのだが。

「アルタイルと毎日会えなくなるなんて寂しいわ」
「僕よりレギュラスに言ったほうがいい。将来は闇の帝王の役に立つだろう」
「去年のことを何を今さら」

 おかしそうにジュリアは笑った。
 家柄や資産目当ての告白は減ったというのに、筆頭たるジュリアが変わらず声をかけてくる理由がアルタイルにはわからなかった。エリックの友人だからだろうか。

「あれから僕の考えは変わってない。闇の帝王がますます力をつけている状況では君の得にはなれないよ」

 家での立場は悪化して、きっとブラック家を継ぐことはないだろう。家の内情を明かすことはできないが、このまま何も言わないのは不誠実な気がした。ジュリアの正直さは嫌いではないのだから、少しまねをしてもいい。

「んー、なら私と結婚した方がいいわよ。私も闇の帝王は嫌いだもの」
「え?」
「趣味合わないのよねえ。あんな髑髏と仮面、可愛くないわ」
「そんな理由で?」

 呆れると同時に納得した。冗談のような言葉だが、ジュリアはレースにリボンにフリル、そういうファッションが好きなのだ。風紀に厳しい先生から目の敵にされようと――これでもブラウスやローブを改造していないだけ譲歩しているらしい――七年間貫き通すほどに。
 対して闇の帝王のシンボルは、口から蛇を吐く骸骨。死喰い人の仮面は不気味で、見る者の恐怖をかき立てるデザインだ。……もしもリボンをつけ足したら闇の帝王がどう反応するのか、なんてくだらない考えが浮かんだ。
 ジュリアの自信たっぷりな声が、アルタイルの意識を現実に戻す。

「理由なんてなんでもいいのよ? みんなあなたみたいに真面目なわけじゃないもの。いい加減に生きてもいいんだから」
「だからといって限度があるだろう」
「いいわ、あなたのために真面目な話もしてあげる。私のお気に入りのお店、トータルコーディネートを任せるほど信用していた魔女がイギリスを出て行ったの。恋人がマグル生まれだからって……最後まで聞きなさい。ちゃんと真面目な話だから」

 歳上の魔女から強く言われると弱い。母や従姉たちの教育の賜物だ。また服の話かと思いつつ、大人しく拝聴する。

「穢れた血がいなくなって、逆らう者は純血でも殺されて、嫌になった人は出て行く……そうしてどんどん人が減った魔法界に未来はあって? 物を作る人も買う人もいない、不動産収入だって借りる人がいないんじゃねえ。うちの土地は純血にしか貸してないけれど、出て行った人もいて減収らしいし。闇の帝王が出てきてから、経済的な得をした人っているかしら?」
「……その視点はなかったな」
「ほおら、私だってたまにはちゃんと考えるんだから」

 自慢げな様子が、獲物を見せびらかしに来た猫のようで愛嬌がある。

「本当に真面目な話が出てくるとは」
「失礼ね」
「それにしてもファッションセンスが合わないからって……あは、そんな簡単でいいのか」

 全身から力が抜け、しぼんだ風船から最後の空気が抜けるように笑いがこぼれた。

「あなたが考えすぎなのよ。嫌なものは嫌でいいじゃない」

 その言葉を素直に受け入れられた。自覚がないままずっと気を張り詰めていたようだ。
「ほら、早く大広間に行きましょう」とジュリアに誘われるまま教室を出る。来年は一緒にホグワーツを歩くこともないのだと思うと名残惜しかった。

「梟便を出すよ。もっとジュリアと話したい」
「ええ、待ってるわよ」

 

***

 ホグワーツ特急から降りたアルタイルは、プラアットホームを見回した。魔法使いのローブを着た者にマグルのジャケットを羽織った者、多種多様な人が行き交っている。
 レギュラスの呼びかけに応じて、クリーチャーは即座に現れた。小さな体を折るように深々とお辞儀する。

「おかえりなさいませ、アルタイル様、レギュラス様」
「元気にしてたかい?」

 レギュラスは顔をほころばせた。

「はい。レギュラス様はまた背がお伸びになられたようで、クリーチャーは嬉しくございます」
「父様と母様の機嫌はどうだ?」

 アルタイルが尋ねると、クリーチャーの大きな耳がしおれた。

「良いとはとても……特に奥様の方は……」
「そうか。苦労をかけるな」
「滅相もございません! ブラック家にご奉仕することはクリーチャーの誇りでございます」

 今回の帰省も楽しいものにはならないだろう。決意は固まっており、何を言われても進路は変わらない。だが、心労は別問題だ。
 クリーチャーの案内で父の元へ行った。久しぶりに会う父は気難しい顔をしていた。

「ただいま帰りました」
「変わりはないか?」
「ありません。シリウスを連れてきます」

 荷物をクリーチャーに渡し、後方の車両に向かう。汽車に揺られている間に、他の監督生からシリウスたちの居場所を伝えられたのだ(「あの子たちが問題を起こさないか要注意よ!」)。
 レギュラスが後を追ってきた。

「いい加減、僕らに手間をかけさせないでほしいよ」
「シリウスが大人しく家に帰ったらそれはそれで不気味だが」

 シリウスはポッター家と話していた。アルタイルが声をかける前に、ジェームズの父親が気づいた。

「ほら、迎えが来ているよ」
「シリウスは家でひどい扱いを受けてるんだよ、父さん」
「何度も言っているが、よその家の子供を勝手に連れて行くわけにはいかないんだ」
「でも……」
「いいって、ジェームズ。ババアに一泡吹かせてくるから報告を待ってろよ」

 アルタイルとレギュラスではこうも素直にシリウスを引き離せなかっただろう。二人はジェームズの父親に会釈した。
 ポッター家の前では勝気に振る舞っていたシリウスだったが、声が届かないほど離れると、顔をしかめてぼやいた。

「あーあ、十五歳はもう大人でいいだろ」
「今年は何回罰則を受けたの? 所かまわず迷惑行為をする人が大人とは思えないよ」
「わかってないな、レギュラス。先生の言う通りにしてるうちはまだお子様だぞ」
「そういうところが子供っぽいんだって自分じゃわからない?」

 遠慮のない応酬は父にとめられるまで続いた。

「そのまま話していると舌を噛むぞ」

 姿表しでブラック邸の居間に着いた。
 母の姿を見て、アルタイルは軽い衝撃を受けた。クリスマスに会った頃より皺が増えている。自分にとっては子供の頃から絶対的な存在だった母様も人並みに老いるのだ。恐らく心労が拍車をかけているのだろう。責任の一端を負う身として心が痛んだ。
 母の声にはまだ張りがあった。油断すると気圧されそうだ。

「考えは変わらないの?」
「はい。スラグホーン先生は応援してくださってます」
「穢れた血と食卓を囲むような奴ではないの」
「良い先生であることに変わりありません。まだ闇の帝王から襲われていないところを見るに、あのお方もそう思ってらっしゃるのでしょう」

 アルタイルは反論する隙を与えず一礼し、足早に居間を出た。自室に入って深く息をつく。
 間を置かずにシリウスがやって来た。便乗して母から逃げたようだ。

「何があったんだ?」
「進路を反対されてるんだ」

 シリウスはぱちくりと目を見開いた。かっこいいと女子生徒から騒がれている顔も、こういう表情を浮かべていると子供らしい。

「癒者になりたいんだ」
「ははっ、そりゃいい! お前も大人になったんだな!」

 シリウスから肩を叩かれた。力の強さに顔をしかめたが、弟は気にした様子もない。
 遅れて現れたレギュラスは二人の様子に呆れた顔をした。

「母様はかんかんに怒ってるよ」
「お前はアルタイルの進路に反対してんのか?」
「……癪だけどシリウスと同じ意見」
「おい、一言余計だぞ」

 シリウスが苦笑した。アルタイルとレギュラスもつられて、久しぶりに兄弟三人で笑いあった。

――今年が家族全員そろう最後の夏になるとは、占いの才がないアルタイルに知る術はなかった。