最終回ドラコ再び

 ベッドから落ちる感覚がして、夢から叩き出された。あっやべ、と思った時には床と激突している。いってえ……。なんだか随分久しぶりな気がする。もうないんじゃないかって思ってたんだけどな。
 懐かしい痛みにうめきながら目を開ける。ツルツルの床はひんやりとしていて、蝋燭の灯りでもわかるマーブル模様がきれいだ。大理石なんだろうか? おれの知識ではお高そうな石材は全て大理石と判定する。そろそろ誰かクッションでも置いてくれないだろうか。

「また召喚できるとは思わなかったが……来てくれて嬉しいよ、龍臣」

 安堵したような声が聞こえて、おれは顔を上げた。色素の薄い金髪に、神経質そうな青白い頬の男がいた。仕立ての良さそうなローブを来た成人の魔法使いだった。部屋の様子もあいまってお貴族様って雰囲気だ。

「初めましてじゃなく……?」

 首を傾げて記憶を探る。おれを今まで召喚したのはリドル、悪戯仕掛け人、ドラコ――って、ドラコか、こいつ。

「うわっ⁉ でっかくなったなあ!」

 久しぶりに会う親戚の子供の成長に驚くような感じだ。自分の歳を抜かされてしまったが。ここは本の世界で、おれのいる世界とは時間の流れが違うんだってことを改めて見せつけられた。
 ルシウスもこんな見た目だったのかな、と不躾は承知でまじまじと眺めてしまう。ドラコが立派な大人なのだからルシウスはおじいちゃんになっているだろう。

「大体二十年ぶりになるのか。あれから何度も召喚を試したが成功しなかった」
「そんなにご指名頂いていたとは驚きだ」

 相談相手がマートルだけじゃ不満だったか?

「龍臣の言う通り家族は無事だった。父も母もホグワーツの戦いを生き残ることができた。被害を考えると本当に幸運なことだ。だから、礼にホグワーツを案内してやろうと思ったのに」
「マジで⁉」

 すごい。もしかして今から本物のホグワーツ探検できる? 某テーマパークもまだ行ったことがないのに先に本物行っちゃう?
 期待に目を輝かせるおれに向かって、しかしドラコは無情に告げるのだった。

「もう卒業したから無効だ」
「嘘だろ⁉」
「仕方がないだろう。ホグワーツの入校許可をとるのに、悪魔を案内するためと言えというのか?」
「適当に誤魔化そうぜ、そこは。ホグワーツの理事とかなってないのかよ」
「在学中に召喚に応じなかったお前が悪い」
「やだー! せっかくチャンスだったのにー! 薄情者っ! 期待させるだけさせといてっ!」

 ぶうぶう文句を言うが、ドラコは澄ました顔で聞き流している。なんてことだ……。うう、おれだってそういう召喚なら駆けつけたかったのに。
 きっと小説が終わった後のことだったから召喚されなかったんだろう。おれがこの世界で特別な力があるのは本の知識があるからだ。知識は力なり。逆に未来を知らなければおれはなんの力もないわけで、悪魔としての条件を満たさない。
 じゃあ今はなんで召喚されたのかって、おれが『呪いの子』を読んだからだろう。全七巻で完結したハリー・ポッターシリーズの続編だ。小説でも映画でもなく、まさかの舞台化、原案J. K. ローリングによる脚本である。日本の地方巡業してくれないかな。映画館のライブビューイングでもいい。

「今日召喚したのは龍臣に聞きたいことがいるからだ」

 ドラコが真剣な眼差しで、おれに向き合った。ふざける雰囲気じゃなくなったので、おれも真面目な表情を作る。

「私の息子の行方が知りたい。お前の知識は本物だからな。息子は無事なのか?」
「ああ、なるほど。アルバスと行方不明ってわけか」
「そうだ」

 タイムターナーで過去を変える時間旅行の真っ最中なのだろう。任せろ。シナリオは一週間前に読んだばかりだ。

「やはりお前はなんでもお見通しだな」

 ドラコは手がかりを逃すまいとするように身を乗り出した。例えるなら決勝戦でスニッチを見つけたシーカーのようといったところか。

「まあな。で、お前の息子ってけっこう行方不明になってるけど今回はどれだ? ホグワーツ特急からいなくなったのか?」
「それは見つかった」
「じゃあホグワーツのトイレでいなくなったのは?」
「それも見つかった」
「じゃあ最後のやつか」
「最後? もう息子がいなくなることはないのか?」
「おれが知る限りじゃな。ハリー・ポッター絡みの、小説になるような事件がなければ別だが」

 いくらおれが悪魔だなんだと呼ばれても、ここの神様は作者のJ. K. ローリングだ。すべてはローリングのみぞ知る。今はファンタスティック・ビーストの製作中だし、続きが出るとしてもだいぶ先ではないだろうか。

「どいつもこいつもハリー・ポッターか」

 そう苦々しく言うドラコだったが、学生時代にあった僻みは感じられない。そして、スコーピウスの無事もわかって安心したのか余裕が出ている。

「あいつはろくなことをしない……。息子がハリー・ポッターとだけ関わらせない方法はないものか……あいつの息子とは仲がいいままで……」
「ハリーを亡き者にしない限り無理じゃないか?」
「悪魔か、おまえ! いや、悪魔だったな!」

 ダンブルドアを殺せないと泣いたドラコには過激すぎたようだ。その良心は正しい。

「おいおい、なんで距離をとるんだ。遠ざかるな。せっかく仲良くなったのに悲しいぞ」
「早く息子の居場所を教えろ」
「ええー、どうしようかなあ」
「くっ、雌鶏の血をさらによこせということか」
「それはいらねえ」

 だからスプラッタは苦手なんだって! どうせくれふなら蛙チョコがいい。食べたら帰れなくなるなんて黄泉つへぐいだっけ? 古事記の神様がなったあれになったら困るが。ハリポタ世界に暮らせることになっても、魔法が使えないんじゃマグルの世界行きだ。都合よくおれが魔法の力に目覚めるならともかく。

「ああもうわかったよ、ハリーの毛布が手がかりだ。これ以上は言えないな」

 というか何年の何月何日かなんて覚えていない。ええっと、ハロウィンの出来事だっけ? そんなレベル。あやふやな記憶で伝えるわけにはいかない。信用が大事だからな。おれの情報が確かだからリピーターになってくれたんだし。

「またポッターか」

 ドラコは眉間に皺を寄せ渋い顔だ。彼が主役だから仕方ない。

「これで息子を助けに行くことができる。礼を言う、龍臣」
「どういたしまして」

 これでおれの役目は終わりだろう。でもドラコはまだ難しい顔で、おれを帰すための呪文を唱える気配はなかった。

「他に何かききたいことがあるのか?」

 わずかな躊躇いの後、ドラコは口を開いた。

「息子は正真正銘妻と私の間に生まれた子供だ。龍臣なら知っているだろう?」
「ああ。そうか、ヴォルデモートの子供じゃないかって噂があるのか」
「その名を言うな! どうすれば噂が消えるのか知恵を借りたい……のだが、龍臣はそういうのはだめそうだな」

 ドラコはため息をついた。話すか迷ったのは、おれに言ったところで無駄なんじゃないかという懸念によるものらしい。

「否定はしないが、馬鹿にされている気がする」
「向き不向きがあるという話だ」
「DNA鑑定でもしたらどうだ?」
「それで消えるのか⁉ どういう魔法で鑑定すんだ?」
「まず必要なのはおまえと息子の髪の毛か唾液、ようは体の一部だな。それをマグルのDNA鑑定する施設に持って行く」

 施設と言ったがどこで受け付けてくれるんだろうな? 病院? そういう商売をしている企業? まあ、その辺は自力で調べてもらおう。

「待て、マグルと言ったか?」
「ああ。だってこれはマグルの科学技術を使った鑑定方法だからな」
「お前に聞いた私が馬鹿だった!」
「信憑性が高いのに」
「息子と私の血をマグルなんかに渡せるか。大体マグルの検査結果を信じる魔法使いがどこにいる」
「あー……マグル生まれの魔法使いなら……」

 おれは頬をかいた。マグル生まれの比率は知らないが、魔法界全体を納得させるには不十分だったかこの方法。

「マグル学を必修にしないからこんな問題が起こるんだよ」
「我々の暮らしにマグルの知識など不要だ」
「それで困っているんだから威張るなよ」
「他に方法はないのか?」
「うーん、これくらいしか思いつかないな。というか、おれからしたらヴォルデモートが子作りするか疑問だ」
「だからその名を出すな。龍臣にも知らないことがあるのか」
「おっと今のはオフレコで」

 なんでも知っている悪魔というふりなので今のは口が滑った。不死を求めたヴォルデモートに跡継ぎなんて不要だろと思うのだが。

「まあ、あれだ、我こそは今は滅びしなんとか王家の末裔であるとか、誰それは有名人の私生児だとかよくある……ってほどじゃないかもしれないけど、全くないわけじゃないだろ?」

 ぱっと出てくるのが天一坊改行なんだが、江戸時代のマグルの日本人をドラコが知るわけがない。

「世間一般の魔法使いからしたらヴォルデモートが生きてるって話はもし本当なら怖くて冗談でも言いたくないんだろうけど、ヴォルデモートの血を分けた子供がいる、くらいなら無責任に騒げてちょうどいいんだろ。子供のうちは力もなくて無害だしな」

 デルフィーって本当にヴォルデモートの子供だったのだろうか。彼女の証言しかないのだから、育ての親が好き勝手に吹き込んだ可能性だってある。それに、ハリーが死んだ世界でデルフィーは『オーグリー様』と呼ばれていた。育ての親のペットだろ、オーグリーって。だからヴォルデモートが生き残ったあの世界でもデルフィーは孤児で育ての親は今と変わらず……というのがおれの考え。ベラトリックスが七巻時点で妊娠していて出産したのも信じられないし。お腹が目立たない妊婦さんもいるけれど。

「馬鹿げた噂に振り回される身にもなってほしいものだ」

 忌々しく吐き捨てた様子には長年の苦労がにじみ出ていた。子供がいるかもって盛り上がれるくらい平和なんだろうけど、ゴシップの標的にされた側には堪ったもんじゃないだろう。

「やはりポッターに噂を否定するよう頼むしかないのか。……龍臣、また何かあった時は頼むぞ」
「遠慮なく呼んでくれ、と言いたいとこだが、まあ何もないのが一番だろうな」
「違いない」

 おれとしては続編が出るのは大歓迎だけどね。リドルに召喚されてからこれで六回目。たとえばドラコに召喚された後にまた学生リドルに召喚されるような、召喚する側の時系列がばらばらになることはなかった。だから、ここの過去編にあたるファンタスティック・ビーストのキャラに召喚されることはないだろう。
 ドラコが呪文を唱える。
 これが最後だと思うとそれなりに感慨深い。心地よい眠気に襲われてまぶたを閉じた。明日は休日だ。起きたら『ハリー・ポッター』を読み返そうか。