第二話 猪頭

 鬼滅隊の選抜が始まった。十三は枝垂れた藤が作る薄紫の幕を通り抜けた。普通の、四季の理に従った山の光景が広がっている。十三は安堵した。

「あぁよかった。山の中は冬で雪が降ってた、なんてことになってたら死んでたぞ。あんだけ藤が咲いてんだ、春も夏も冬もめちゃくちゃに入り乱れていんじゃねェかって心配したんだ。……ん」

 やっと十三は気づいた。隣にいると思っていた炭治郎がいない。夜空には下弦の月が浮かび、木の節を数えられるほど明るい。だか、周囲には誰の姿も見えなかった。

「おーい、炭治郎やーい?」

 返事はない。完全にはぐれている。まァ生きていればいずれ会えるだろう、と十三は大して気にせずに進み出した。
 勝手知らぬ山。地の利はない。十三は刀を振るうのに木々が邪魔にならない場所を見つけると、立ち止った。鬼が襲ってきたらここで迎え討つ。うかつに動かず体力温存することを選んだのだ。……深入りしたら帰り道がわからなくなるという理由もなくはなかったが。
 ガサッガサッ、と茂みを通り抜ける音がした。

「猪突猛進! 猪突猛進!」

 そう言いながら、何かが猛烈な勢いで近づいてくる。十三の口の中に固いスモモのような酸味が広がった。
 鬼じゃねェな、人か。十三が気を緩めたのも束の間。

「猪突猛進! 猪突猛進!」

 茂みから飛び出してきたのは、猪の頭と人の体を持つ生き物だった。両手にはそれぞれ刃こぼれした刀を持っている。

「えぇ!? なんだお前!? 獣か人かどっちだよ!?」

 十三は驚いて、思わず刀の柄に手をかけた。いつでも抜けるように、腰を落として身構える。
 半獣半人の姿をした者は、流暢な人の言葉で言った。

「テメェこそなんだ! 邪魔だ、どけ!」
「嫌だ。なんで俺がどかなきゃいけねェんだ」
「俺は鬼を倒してより強くなるんだ! テメェも踏み台にしてやろうかァ!」
「なんだ、お前も選抜を受けに来たのか」

 同じ選別を受けにきた仲間だとわかっても、十三はまだ警戒したままだ。最終選抜の条件は、飢えた鬼が閉じ込められたこの山で七日間生き抜くこと。互いに蹴落とす必要はない。だか、そのようなことは猪頭にとってはどうでもいいことのようだった。十三は確かな身の危険を感じていた。

「ちょっと刀おろさねェか?」
「お前が先に刀から手を離したらな」
「そしたら襲ってくるだろ、絶対!」
「あたりまえだ!」
「なんでだよ!」
「俺が強くなるためだ」
「俺で腕試しすんなよ! なんだこいつ?! 鬼を倒せよな!」

 2人の声は、夜の山によく響いたのだろう。ガサ、と再び茂みの音がした。十三の舌に蜜のような甘さが広がる。
 今度こそ鬼だ。
 十三は舌で鬼を感知することができた。それは、後に共感覚と呼ばれるものである。未分化の五感が生み出す現象。有名な例では、文字や音に色がついて見えるというものがある。十三の場合、視覚、聴覚、嗅覚、触覚で感じたものが、味覚にも表われるのだ。鬼は決まって蜜のような甘い味がする。

「久しぶりの食事だ!」

 叫びながら、鬼が藪から現れた。額から生える2本の角に、口からは人肉を喰らうための大きな牙が覗いている。
 ゴクリ、と十三は唾を飲んだ。蜜の味は鬼を倒す時が、最も甘美だった。

「2人も喰えるなんてついてるぜ!」
「喰われんのはお前の方だ!」

 十三が刀を抜いた。その脇を――疾風が通り抜けた。
 鬼の頭が飛んだ。
 猪頭が両手の刀で、鬼の經を切り落としたのだった。鬼の頭が、蹴られた鞠のように地面に転がった。

「アハハハハ! どうだ俺の方が強いだろ!」

 猪頭は十三に体を向け、高笑いした。
 十三の下から蜜の甘い味が消え、猪頭からするスモモの酸味だけが残っていた。十三は切りつける先を失った刀を猪頭に向けた。

「俺の獲物だったのに!」
「テメェが弱いのが悪い」
「うぐっ」

 猪頭が鬼に突進する間、十三の足は一歩も動けなかったのは事実だ。

「だ、だってお前の切り込みがあんまりにも凄くて、釘付けになった? 見惚れた? とかなんとか、そんな感じだったんだ! びっくりして動けなかったんじゃなくて!」
「お前……」

 猪頭の目は生気がなく、どこを向いているのかわからない。だが十三は、相手がじっと自分を見つめているのを感じた。しどろもどろの言い訳がバレたのだろうか。

「俺の強さがよくわかってるじゃねぇか! よし! お前を子分にしてやろう!」
「それは絶対に嫌だ」

 即座に十三は断った。

「なんだと!?」
「得体の知れない奴の子分にはなれねえ」
「俺は嘴平伊之助、山の王だ」
「山の王……?」

 きょとんと十三は目を瞬かせた。昔、ジィさんが山の主の話をしてくれたことがある。一際大きな角を持つ鹿だとか、一つ目の獣だとかそういう類のものを。嘴平伊之助と名乗るこの生き物が半獣半人の姿をしているのも、ジィさんが話してくれた類のものだからだろうか。
 不意に伊之助が、明後日の方向に顔を向けた。

「鬼の気配だ!」
「え?」

 十三には何も感じられない。だが、伊之助は一目散に駆け出した。身を低くして走る姿は猪そのものだ。

「猪突猛進! 猪突猛進!」

 現れた時と同じまるで旋風のような唐突さで、伊之助は十三の視界から消えた。
 残された十三は呆然と呟いた。

「なんだったんだ……」

 でも凄い強かった。十三は鬼滅の剣士を師匠しか知らない。強い奴が他にもいるんだ。心が浮き立つのを十三は感じた。そして、次会った時は自分が強いってことを思い知らせてやる、と決意を固めた。伊之助も自分も選抜を生き残ることを疑いもしなかった。