伊之助と別れてから、鬼の襲撃もなく夜が明けた。朝日に目を細めながら、十三は安心して気を緩めた。日光があるところに鬼は出てこない。
十三は睡眠をとり、夕暮れ前に起きて水と食料を求めて歩き出した。
「うっ……こりゃあ……」
濃厚な緑の匂いをかき消す血と死臭に、十三は鼻と口を手で覆った。口の中に鉄錆の不快な味が広がる。このまま行けば間違いなく死体があるだろう。
臭いの先には、血で汚れた元は着物だろうボロ切れと風呂敷包みが落ちていた。傍らには折れた刀が、そして食い残された人骨があった。
「鬼に喰われたか」
十三はそれに向かって話しかけた。当然返事はない。遺骨の側にしゃがんで、十三は手を合わせた。経など知らないから適当だ。
「なんまいだ、なんまいだ」
それから拾った石でなんとか浅いが穴を掘り、骨と刀を埋葬した。十三は土で汚れた手で額の汗を拭った。
「ふぅ……。悪いな、埋めてやった駄賃に食料はもらうぞ。あんたにはもう必要ないものだし、いいだろう?」
鬼は人肉だけで満足したのか、風呂敷の中の干し飯や魚の干物には手付かずだった。十三は干し魚をかじった。鬼に喰われるのも熊に食べられるのも死に方として変わらんな、と思いながら。
その夜、化鳥が鳴くような甲高い叫び声が山に響いた。
「うぎゃー!」
十三の舌にフキノトウのような苦味が広がった。鬼の声ではない。人の悲鳴だ。誰かが鬼に襲われている。十三は駆け出した。
「やめてー! 俺なんか食っても美味しくないよ! 腹壊すって!」
金髪の少年が、木の根元で尻餅をついていた。刀を握りもせず、震えて命乞いをしている。
鬼は、少年の恐怖を存分に味わうように、ゆったりと歩み寄っていた。その強者の余裕は油断につながる。背後から近づく十三にまるで気づいた様子がないのだから。
これ以上ない狩りの時。
十三が地面を蹴った。飛びかかる。狙うは鬼の頸。白刃が三日月の光に輝く。刀を頭上まで振り上げた、大振りの一撃。
確かな手応えを感じた。口の中に、唾液しかないのにも関わらず、甘い蜜の味が広がった。鬼を切った味だ。
「ははっ!」
着地と同時に、思わず笑みが零れた。腹は膨れないが飢えが満たされる感覚があった。十三は刀を収めると、少年に言った。
「あんたが鬼の気をそらし続けたから、楽に仕留められたよ」
鬼の油断に加え、少年の叫び声で十三の足音がかき消されたため、簡単に忍び寄ることができた。
少年はまだ震えたまま、十三を見上げた。
「はあ!? 何言ってんの! こっちはそんなこと考えてないし! 死ぬ瀬戸際! そんな考える余裕あるか!」
「お、おう」
少年の勢いに十三はたじろいだ。
「あー! 生き残っちゃった! 死ぬ日が一日伸びただけだ! 死に怯える時間が長くなっただけだ!」
「ええー……さっき命乞いしてただろ」
「素直に死ねたらとっくに自殺してるわ!」
十三にはわからない考えだが、鬼に襲われて混乱しているんだろうと思った。
「えっと、立てる?」
十三は少年に近づいて手を伸ばした。少年が、はっと何かに気づいたように静かになった。
「大丈夫?」
黙って見つめてくる少年に、頭でも打ったのかと十三は心配した。だが舌に血の味はしない。怪我はないようだ。いったいどうしたんだろう、十三は首を傾げた。
「取り乱して悪かった。もう大丈夫だ」
少年がキリと澄ました顔をしたが、涙と鼻水のあとで台無しだった。
「はあ」
「俺は我妻善逸。君の名前を教えてくれないか?」
「俺は、」
言葉の途中で、腕を善逸からひっぱられた。不意打ちに十三はなす術もなく倒れた。体の上に善逸が覆いかぶさってきた。
「何すんだ!」
「静かにして。鬼が近くにいる」
善逸の体は震えていた。十三は声をひそめて言った。
「なら、退治しよう」
「馬鹿。あえて危険に飛び込むな。命がいくつあってもたりないぞ」
「平気だ。鬼を退治するために鬼殺隊に入りにきたんだ。どいてくれ」
「ダメだ。君を危険に晒せない」
「どけ」
十三は睨みつけたが、善逸は真っ向から見返してきた。意外に強い眼差しに、さっきまで泣き喚いていたのが信じられないくらいだ。
鬼の足音が十三にも聞こえてきた。二人で息を潜めていたが、鬼はやってきた。
「なんだテメェら、こんな所で乳繰りあいやがって!」
善逸が前に立ちはだかった。両足も刀に添えた手も、震えたままだというのに。
「君は俺が守る」
「はぁ!? 怖いくせに何やってんだ! 守られるほど弱くねェし!」
「女の子を見捨てられないだろ!」
「ええい、俺の前でイチャイチャしやがって! 惨たらしく殺してやる!」
鬼は二人の関係を誤解したままだった。鬼が鋭い爪を誇示する。
善逸の体が傾いで、そのまま倒れた。気絶したようだ。
「はっ、カッコつけるからだ」
「ああもう、そこで寝られるとすっげえ邪魔なんだけど!」
善逸を踏んづけて行くにはいかないだろう、と十三が考えているうちに、鬼が一歩また一歩とこちらに寄ってくる。
そして、稲光のように、白刃の輝きが夜の闇を裂いた。
鬼の首が飛んだ。一瞬で起き上がった善逸による居合だった。鬼は無防備にも善逸の間合いに入っていたのだ。
「すごい!」
十三が善逸に駆け寄った。興奮した体の動きにあわせて、少女趣味な大きなリボンと結った髪がぴょんぴょんと揺れる。
「なんだあんた強いんじゃないか」
閉じられていた善逸の目が開く。善逸は塵へとかえりかけている鬼の体を見ると、十三の腰に抱きついた。
「君が倒したの! ありがとう! 本当に強いんだね、君!」
十三はきょとんとした。
「何言ってんだ。善逸が倒しただろ」
「はあ?! 俺に倒せるわけないだろ! 弱いんだから!」
「んん?」
善逸の中で事実がおかしなことになっている。
「君は強いし可愛いし素敵な女性だ。俺と結婚してくれないか。そうだまだ名前を聞いてなかったね」
「白竹十三。勘違いしてるみたいだけど、俺は男だぞ」
「え?」
善逸が十三を見つめた。時が止まったような沈黙があった。