Chap.4 The Librarian

 校長室の壁には歴代の校長の肖像画がかかっている。その全員とラングレイは知り合いだった。部屋の内装はその時の校長の趣味によって左右されたが、おんぼろの組分け帽子とグリフィンドールの剣だけは変わらない。

「何の用だろうか?」

 ラングレイは今代の校長、ディペットに尋ねた。お茶会に呼ばれるほど親しくなく、呼び出しをうける心当たりはなかった。

「スリザリンのトム・リドルが夏休みの間ホグワーツに残ることになったのは知っておろう?」
「ああ」

 ラングレイは頷いた。先日ディペットが、職員室にゴーストたちを集めて知らせていた。夏休みは教師たちも帰るため、ホグワーツを住処にするゴーストたちにリドルの面倒を任せるとのことだった。
 生徒が夏休みの間もホグワーツに残ることを許可するとは、本来はありえないことだった。リドルの身寄りがなく帰る先が孤児院しかないこと、そして何よりリドルが日頃の行いから教師たちの信頼を得ていたことが、特例を許した理由だった。『ハリー・ポッター』では、バジリスクがマートルを殺していたから、安全上の理由で実現しなかった。1人の命を救った影響は大きい。

「リドルが夏休みの間も図書室を使いたいと言っておっての。司書も帰ってしまうことじゃし、ボーグナインに図書室のことを頼みたいのじゃ」

 ラングレイは日頃から司書が休みの日は代わりにカウンター業務をしている。小遣い稼ぎのアルバイトである。衣食住の心配がない身とはいえ、趣味の物を買う金はほしかった。

「そういうことか。働くのは構わんが……もちろん給料は出るんだろうな?」

 ラングレイは光り物を見つけた烏のように、瞳を輝かせた。

* * *

 時計の針が10時を指した。ガチャリと重々しい音を立てて図書室の鍵が開いた。扉にかけられていた“CLOSE”の札が裏返り、“OPEN”にかわる。たった1人の利用者のために、ラングレイはカウンターについた。
 5分ほど経つと、リドルが訪れた。夏休みだというのに、律儀に制服を着ている。

「おはようございます。ドイツ人のように時間に正確ですね」
「日本人的な生真面目さだと言ってほしい」
「図書室を乗っ取るつもりですか」
「なぜそうなるのだ」
「黄色人種の労働力は脅威――それでわざわざ自分をアジア人にたとえたのではないのですか?」
「ああ……黄禍論か」

 ラングレイは前世で受けた世界史の授業を思い出した。ホグワーツから一歩も外に出ていないためすっかり世界情勢に疎くなっている。今は黄色人種が白人の仕事を奪うと移民の制限や排斥をしていた時代なのだろう。

「なに、私はそこまで仕事熱心ではないさ。死ぬほど働く気はないからな」

 社畜よりもニートになりたい、が適切な表現が英語で浮かばなかったから、ラングレイは口には出せなかった。

「どうせ死んでいるのだから、土日も図書室を開けてほしいんですが」
「君こそ休みたまえ。なんだってそんなに熱心に不死を求めるのか。私が生きていた頃は、“死にたい”“死んだ方がマシ”が口癖だったぞ」
「それは、生きることから逃げていただけではないでしょうか」
「だんだん言うことに容赦がなくなってきたな」

 ラングレイは苦笑した。リドルの言ったことは図星だ。
 夏休みの間も2人で話しているうちに、段々とリドルの態度が気安くなった。そして、ラングレイも現代の言葉遣いに馴染んできていた。
 リドルが持ち出し禁止の本を棚から引き抜いた。本は鎖で棚と繋がれていた。棚についている書見台の上に本を広げた。そのそばでラングレイは呟いた。

「本当に日本人なんだがな」
「まだその冗談を言っているんですか」
「嘘は言わないぞ、私は。本当に日本人だったんだ。前世でな」
「はあ」
「む、信じてないな。私の目を見ろ。嘘の欠片もないぞ」

 リドルの目は本の文字を追い続けている。それでもラングレイは話し続けた。構ってもらえなくて暇を持て余している様子である。

「前になぜ私に足がないのか訊いたことがあったな? 生前に怪我や病で足を失ったわけでも、生まれつきなかったわけでもない。それなのになぜ足がないのか? それは日本のゴーストは足がないのが一般的だからだ。足についた鎖をジャラジャラいわせながら歩き回るゴーストに慣れているイギリス人にはピンとこないだろうが、江戸時代――18世紀の画家、円山応挙がそのイメージを広めたといわれている。この図書室でも、そこの芸術の棚にあるジャポネスクの本で見ることができる」
「ラングレイ」
「なんだ?」
「静かにしてくれませんか?」

 ようやく顔を本からあげたリドルの言葉はにべもなかった。

「図書室は静かにしなければならないのでしょう?」
「今は他の利用者がいないからよいだろう」
「僕は本を読みに来たのであって、話しをしに来たのではないんですが」
「つれないな。少し前は私を図書室の外に連れ出すほど熱烈だったのに」
「他の生徒がいないうちは落ち着いて読めると思っていたんですけど」

 リドルがため息をついた。人気者の彼は勉強を教えてほしいという生徒に囲まれていたり、端正な彼の横顔を盗み見る生徒の視線に晒されていたりしている。

「悪かったな。では詫びに、レイブンクローのブローチについて話そう」
「けっきょく話すんですか」

 リドルの口調は呆れていたが、目は本に戻らずラングレイに向けられたままだ。興味を引かれたのは明らかだった。