泣くだけの亡霊でいたい

 任務で留守にしているわけでもないのに、部屋のカーテンは何日も閉め切られたままだった。部屋の主のルシルは、ベッドの上で膝を抱えて横になっている。今のルシルに昼夜は関係なかった。
 スーマンが死んだ。その知らせを受けてから、立ち上がる気力を失っていた。
 遠慮がちなノックの音がした。ルシルはわずかに身じろぎした。

「ルシル、アタシよ。ジェリーよ」

 明るい声がドアの向こうからする。黒の教団の料理長、ジェリーだった。

「ご飯を持ってきたんだけど一緒に食べない?」

 いらない、とルシルは呟いたが、ドアの向こうには届かなかった。

「今日のスープ自信作なのよ。朝の忙しい時間がちょうど終わって、アタシもこれから食べるところなの。ルシルがいないとあたし1人で食べることになっちゃうわー。寂しいわねー」

 わざとらしいジェリーの言い方にルシルは少しむっとしながらも、しぶしぶ起き上がった。ジェリーが気遣ってくれているのは十分わかっていた。
 ルシルの目に、姿見に映った自分の姿が入った。ぐしゃぐしゃにもつれた髪に泣きはらした目、よれたネグリジェ姿の少女。まるで亡霊のような悲惨な有様だ。最後にお風呂に入ったのはいつだっただろう? いつものルシルならこんな状態で人に会わないのだが、今はすべてがどうでもよかった。
 ルシルがドアを開けた。ずっと寝ていたから動作は緩慢だった。太陽のようなジェリーの笑顔に、ルシルは目を細めた。

「嬉しいわあ。お邪魔するわね。あぁもう、たまには換気しないとダメよ。部屋が暗いと気分まで暗くなっちゃう」

 ジェリーはサイドテーブルの上にお盆をのせると、てきぱきとカーテンと窓を開けた。空はどんよりと曇っていたが。久しぶりに新鮮な外の空気が入ってきて、部屋の中のよどんだ空気が出て行くのを感じた。
 お盆の上には黒パンと湯気の立つスープがあった。スープは、ニンジンやブロッコリー等の野菜とベーコンが入ったものだ。ルシルのお腹がグルグルと鳴った。

「あははは! 食欲があるようでよかったわ!」
「そんなことないんだけど……」

 愛しい人が死んだというのに、どうしようもなく腹は減る。気持ちの整理がついていようがいまいが肉体はお構いなしだ。
 2人でベッドに並んで腰かけて食べた。噛む度に黒パンの柔らかな酸味が口の中に広がり、ベーコンの塩気がスープをすくう手を進める。あっという間にルシルは間食した。

「気持ちのいい食べっぷりね。作った甲斐があるってものだわ。さあ次は、お寝坊さんの髪でもとかしてあげようかしら」
「そこまでしなくていいよ!」

 ルシルは断ったが、ジェリーに押し切られ、ドレッサーの前に座ることになった。もつれた髪を、ジェリーがブラシでほぐしていく。

「……リナリーたちはまだ帰ってきてないのね」

 鏡の中の亡霊のような少女が徐々に人の姿を取り戻していくのを見ながら、ルシルはきいた。リナリーたち、まだ教団に戻ってきていないエクソシストたちの現在の任務は、元帥を黒の教団までつれてくることだ。

「ええ……でもあの子達なら大丈夫よ。信じて待ちましょう」
「うん」
「帰ってきたらあの子達の好きなものをうんとたくさん作るんだから!」

 ジェリーが腕に力瘤を作った。ルシルは「そうね、楽しみだわ」と笑った。
 リナリーたちに無事に帰ってきてほしい――まだ帰ってきてほしくない。
 黒の教団にエクソシストを遊ばせておく余裕はなかった。だというのに、ルシルが部屋で寝ていられるのは、全ての元帥が帰投するまで本部で待機という指示があるからだった。クラウドとソカロは先日帰還した。残るは、ティエドールとクロスである。
 全員が戻ったら新しい方針が出る。きっとまた戦わなくちゃいけない。

「あぁ、嫌だな」

 ポツリと言葉がこぼれた。涙の粒が目尻から頬につたった。ぬぐってもぬぐってもとまらない。

「ルシル、大丈夫?」

 ジェリーの大きな手がルシルの頭を優しく撫でた。ルシルはその優しさに甘えた。

「あのね、私、スーマンが……」

 嗚咽でつまった。あの人の名前を口にするだけでこんなにも苦しい。
 ジェリーは何も言わず待っていてくれた。優しく撫で続けてくれた。

「スーマンが、アクマに殺されたのならここまで泣かなかったよ。……なんで神様は、スーマンを殺したの。なんのために今まで……スーマンは、戦ってきたの。……わかんないよ。神様が怖いよ。アクマよりずっとずっと」
「ルシル」

 ジェリーが後ろから抱きしめる。ルシルの小さな身体はジェリーの腕の中におさまった。ジェリーに守られているような安心感があって、ルシルはまた泣いた。

「私、もう戦いたくない。イノセンスなんてつけたくない」

 ベッドの横にあるサイドテーブルには2つのブレスレットが置いてあった。飾り気のない黒いそれがルシルのイノセンスだ。

「ルシル、ごめんなさい。できるなら私が代わってやりたいくらいだわ」

 ルシルは首を横に振った。ジェリーに謝ってほしくない。代わりに戦ってもらうのも嫌だ。謝罪なら神様から聞きたかった。謝られたところで許すつもりはなかったけど。