第3話 ひずんで沈んだ憂鬱

『アルタイルへ

 元気にしていますか?
 寮が違うアルタイルのところまでシリウスの素行の悪さが伝わるなんて、シリウスにはもっとブラック家にふさわしい行動をしてほしいです。
 母様はずっと怒っています。クリーチャーが気分を落ち着かせるハーブティーを淹れても効果はないようです。「家庭教師の教え方が悪いせいだ」と言っていて、先生がクビにならないか心配です。先生は「アルタイルはちゃんとスリザリンに入っただろう」と言い返していますが。
 この間、アルファード叔父様が来ました。プレゼントをもらったんですが、何だと思いますか? スニッチです! それも本物の、試合で使う物を。次の夏までに今よりずっと早く飛べるようになってみせます。

 レギュラスより』

 家に残る弟からの手紙にはそう書かれていた。アルタイルは手紙を丁寧に畳むと鞄にしまった。すでに朝食は食べ終えている。梟便の時間になると羽根が食事の上に落ちるため、早めに食べる習慣がついていた。あとは寝坊したエリックが目玉焼きを胃に収めるのを待つばかりだった。
 母親の怒鳴り声を聞かずにすみ、自分がシリウスより早く生まれてよかったと思う。実家からは母の怒りに満ちた手紙も届いていたが、吠えメールを使われないだけマシだ。下品な物だと嫌っているのだ
 ホグワーツの暮らしは何事もなく過ぎていった。毎日のようにシリウスはジェームズと一緒に先生や管理人のフィルチに追いかけられ、ハロウィンを迎える頃にはホグワーツの新しい日常になっていた。

 

 十二月のある朝、梟たちが小雪と一緒に大広間に入ってきた。外の寒さが堪えたのか、ブラック家から手紙を運んできた梟は紅茶のポットに身を寄せて体を温めた。
 手紙を一読したアルタイルは小さくため息をついた。

「今日の手紙はレギュラスからじゃなかったか」

 エリックがトーストに落ちた羽根を取り除きながら言った。

「なんでわかるんだ」
「レギュラスから来ると機嫌がよくなるからな。今日のは――当ててやろう。母親からだな。内容はシリウスのこと。どうだ、当たったか?」
「エリックが予言者だったとは知らなかったな」
「ふふん、もっと褒め称えていいんだぞ」
「それくらいなら俺だって予言できる」

 ウィリアムが横から言った。トーストをちぎって、ブラック家の梟に食べさせている。ウィリアムは梟を飼いたがっているが、父親が蕁麻疹を起こすから飼うどころか家には羽毛布団も置けないらしい。

「シリウスのことになると怖い顔になるからな。眉間に皺よってるぞ。そこの一年生がびびっているじゃないか、かわいそうに」
「二人も僕の立場になればこんな顔にもなるさ」
「まあ、シリウスがあれじゃな」

 エリックがグリフィンドールのテーブルをちらっと見た。
 シリウスが手紙をビリビリに破いていた。傍目にも怒っていることは明らかだった。横にいる小柄な少年は怯えて身を縮こまらせ、鳶色の髪の少年がシリウスをなだめている。

「あっちも母親から来たようだな」

 エリックの言葉に、アルタイルはうなずいた。
 アルタイルが受け取った手紙の内容は、グリフィンドールに入ったことを反省するならクリスマス休暇に帰ってきてもよいと母が寛大な心を示していることをシリウスに伝えなさい、というものだった。弟の様子を見る限り、伝える必要はないだろう。

 

 

***

 大広間にクリスマスツリーが飾られてから二日後、アルタイルは九と四分の三番線プラットホームに降り立った。灰色の空に小雪が舞う中、迎えに来たのは父親一人だけだった。

「父様、お久しぶりです」
「シリウスは来なかったんだね」

 オリオンの声は予想通りだというように落胆も怒りもなく静かなものだった。実の息子であるアルタイルにも父の感情は読めないことが多い。

「行こうか」

 オリオンが手を差し伸べた。姿現しで移動するため、アルタイルが術者の体につかまる必要があるのだ。姿現しは試験に合格しないと使えない難しい魔法であり、そもそも十七歳以下の魔法使いは学校外での魔法の使用は禁止されている。
 ブラック親子のすぐ近くでは、ハッフルパフの同級生が久しぶりに会った両親に抱きしめられていた。そのような愛情表現をアルタイルは両親からもらったことがなかった。少しだけ羨ましく思いながら、革の手袋に包まれた父親の手をとった。
 狭いチューブの中を無理やり潜り抜けるような不快な感覚の後、二人は家のリビングに到着した。

「おかえり、アルタイル」
「お帰りなさいませ。お部屋は綺麗なままにしております」

 レギュラスと屋敷しもべ妖精のクリーチャーが待っていた。レギュラスはシリウスがいないとわかるとちょっとだけ表情を曇らせたが、笑顔でアルタイルを迎えた。

「ただいま、レギュラス、クリーチャー。母様は?」
「部屋だ。来なさい」

 オリオンが歩き出す。アルタイルはトランクと脱いだコートをクリーチャーに渡し、歩幅の差を考慮しない父の後ろを急いでついていった。
 母親の部屋に入った。アルタイルは挨拶をしようとしたが、椅子に腰掛けている母の険しい表情を見て口をつぐんだ。まるで毒の霧が漂っているみたいに空気が緊張をはらんでいる。

「シリウスは帰ってこなかったというの!? 言いつけを破ったのね……!」

 ヴァルブルガの怒号に、窓ガラスは震えて音を立て、壁にかかっていた絵画は落ちた。感情の高ぶりのままに魔力が放出されていた。

「母様……」

 魔力の紫電が頰の横を通り抜け、アルタイルは再度口を閉じた。当たっていないのに肌がピリピリと痛い。

「ヴァルブルガのことは私に任せて行きなさい」

 オリオンが息子をかばうように立った。アルタイルはうなずいて部屋を出た。とどまったところでできることがあるとは思えなかった。母は気性の激しい人だったが、ここまで荒れたのは初めてだった。母親を前にして身の危険を感じるなんて。
 廊下でレギュラスが心配そうに立っていた。部屋の中で何かが割れる大きな音がし、レギュラスが身をすくめる。

「母様は……?」
「父様がいるから大丈夫。行こう」

 アルタイルはレギュラスをつれて自分の部屋に入った。緑を基調とした部屋は、弟たちのものと比べると本が多い。クリーチャーが掃除してくれるお陰で埃一つないが、床の上には九月一日に部屋を出た時のまま崩れていないのが不思議なバランスで本が積まれていた。
 二人並んでベッドに腰掛ける。寮の布団より上質な感触を味わうどころではない。視線を下に落とすレギュラスに、秋に別れた時の元気はなかった。弟の変化は母の態度に劣らずアルタイルの胸を締めつけた。

「母様はいつもこうなの?」
「うん」
「大変だったね」
「ううん。もう慣れたよ」

 レギュラスは健気に首を横に振った。アルタイルは拳を握りしめ、家に残されたレギュラスがどういう思いをしているか考えもしなかった自分を恥じた。レギュラスにはクビにならずにすんだ家庭教師もいるし、アルファード叔父様も気にかけてくれているから大丈夫だと甘えていた。
 レギュラスはため息と一緒に疑問をこぼす。

「シリウスはどうして母様を困らせるんだろう」
「さあ……。僕にもわからない」
「一度だけ、シリウスからグリフィンドールに入ったっていう手紙が来て、それっきり手紙が来ないんだ」

 レギュラスがさらに深くうつむいた。
 初耳だった。シリウスが両親に手紙を出していないことは、両親からの手紙に書いてあったし、文面からして母様がかなり怒っていることもわかった。でも、いくらシリウスでもレギュラスには出しているだろうと思っていた。レギュラスもそんなことは手紙に書いてよこさなかった。

「一言教えてくれれば、僕がシリウスに言って手紙を書かせたのに」

 弟にこんな寂しい思いをさせているシリウスが許せなかった。
 すっかり諦めた様子でレギュラスは首を横に振った。

「いいんだ、アルタイル。きっとシリウスはもう家のことなんてどうでもいいんだよ。でなきゃ、なんで手紙をくれないの?」
「それはっ、……レギュラスがシリウスと仲良くすることで母様の機嫌が悪くならないように気をつかっているのかもしれない! シリウスは家のことは嫌っても、レギュラスのことは嫌っていないと思う!」

 全部が憶測だった。レギュラスもそれが根拠のないことだとわかっていた。

「シリウスが母様の機嫌を考えて行動したことがある?」

 まったく思い当たらなかった。アルタイルの言葉は慰めにもならなかった。
 レギュラスが部屋を出ていった。一人きりになったアルタイルは、壁に張ってある天球座標を睨むように見つめた。今よりずっと幼い頃、兄弟三人で家族の名前の元になった星を探した。三人で笑いあっていた頃がひどく遠い昔のように感じた。

(title by ジャベリン