第2話 蛇の家系から出た獅子

 ホグワーツの大広間で上級生たちは新入生が来るのを待っていた。天井は曇り空を映していたが、宙に浮かぶ無数の蝋燭が星の代わりに輝いている。四つ並んだ長テーブルは所属する寮ごとに分かれており、アルタイルは壁際にあるスリザリの席で友人たちと話していた。

「あのシリウスが緊張している姿、僕も見たかったな」

 向かいの席でエリック・パーキンソンは含みのある笑いを浮かべた。低い鼻が特徴的な少年で、実家は古くから続く純血の一族だ。

「シリウスには内緒にしてくれ。怒られる」
「アルタイルがシリウスと僕たちを合わせたくなかったのも無理ないけど、その言い訳だけはないな。傑作だ。休みの間にジョークセンスを磨いたのか?」
「汽車で君の弟のことを言ってからエリックは笑いっぱなしだ。どういうことか訊いても、アルタイルに訊けの一点張りだし」

 エリックの隣でウィリアムが不貞腐れた顔をしている。

「なんて説明したらいいのか……」

 アルタイルが言葉を探していると、隣に座る青白い肌の少女が助け舟を出した。細い指で茶色い髪を弄ぶ。

「あの子、変わった子だから私たちとは気が合いそうにないのよ」

 ローズ・オブライエンもまた先祖代々魔法使いの家系だ。ブラック家とパーキンソン家に比べると歴史の古さはやや劣る。ローズの配慮にあふれた言い方に、エリックはまた笑った。
 新入生がマクゴナガル先生に先導されて入ってきた。アルタイルとシリウスの顔は似ているので、ウィリアムにもすぐにわかったようだ。

「あそこの黒髪の子か? 前の方にいる。兄弟そろって美形かよ」
「来年もう一人増えるぞ。この美形三兄弟め、くそ殺す」
「弟に手を出したら、犬みたいに四つん這いで生活するしかないようにしてやるぞ、エリック」
「ははは、ただでさえパグそっくりの顔なのになあ」
「人が気にしていることを……!」

 エリックの拳が脇腹にめりこみウィリアムはテーブルに突っ伏した。ローズが呆れた様子で見ている。
 シリウスは眼鏡をかけた男の子と笑い合っていた。二人とも先生や上級生たちの視線に物怖じせず、組分けの不安もないようだった。

「隣のは誰だ?」

 エリックがアルタイルにきいた。毛先があちこちに跳ねた黒い髪と丸眼鏡。アルタイルにも見覚えのない顔だった。

「さあ……汽車で友達になった子じゃないかな?」

 マクゴナガルが咳払いをした。先生の厳しさを知る上級生たちは直ちにおしゃべりをやめた。組分けが始まり、マクゴナガルが羊皮紙に書かれた名前を読み上げる。ABC順だからシリウスの番はすぐに来た。

「ブラック・シリウス」

 シリウスは楽しみで仕方がないとばかりにはずむように椅子に座った。ゴドリック・グリフィンドールが被っていたという三角帽子は子供の頭には大きく、鼻先まで覆い隠した。
 スリザリン生の中にはもう拍手で迎えようと胸の前で手を構えている者までいる。代々ブラック家は蛇をシンボルとするこの寮に選ばれてきた。
 組分けは長くかからなかった。二言三言、帽子と問答する間があり――

「グリフィンドール!」

 高らかに帽子は宣言した。
 スリザリン生たちが言葉を失った。叩く準備をしていた両手が行き場を失っている。グリフィンドール生たちの「ええっ!」と驚く声が次第に歓声に変わっていった。嫌そうな顔をする生徒も残っていたが、概ね好意的に迎えられた。帽子をとった時のシリウスが溌剌とした笑顔で、明らかに喜んでいたからだろう。
 アルタイルは笑い出したくなるのを堪えた。
 本当にやるなんて!
 愉快で仕方なかったが冷たい表情を作って隠す。母がマグル生まれに向ける軽蔑の眼差しと、父の冷淡な無表情――それが純血の自分にも求められる振る舞いだった。
 グリフィンドールのテーブルに行く途中、シリウスがちらりとアルタイルを見た。自慢げで、してやったりというような、親や家庭教師を出し抜いた時によく見せる顔だった。

「……馬鹿な奴だ」

 アルタイルは灰色の目に蔑みを浮かべて、冷ややかに呟いた。大きな声ではなかったが、スリザリン生たちはブラック家の長男の動向を伺っていたから十分伝わっただろう。
 監督生のルシウス・マルフォイが同意するように軽くうなずいた。その横では従姉のアンドロメダ・ブラックがため息をつき、彼女の妹のナルシッサは眉をひそめていた。

 

 

***

 シリウスと組分けの前に話していた男の子は、ジェームズ・ポッターという名前だった。その子もグリフィンドールに組み分けされ、シリウスと肩を叩いて喜び合っていた。
 二人とも入学して間もないうちから、校則を破って悪ふざけばかりして教師の手を焼いていた。しかし、手のかかる子ほど可愛いとはいったもので、加えて才気あふれるものだから先生たちは魅了されていた。

「またジェームズとシリウスが夜中に出歩いたそうですな」
「今度は何をやったかと思えば」
「聞きましたか、浮遊呪文でフリットウィック先生を浮かせたとか」
「なんと! まだ授業が始まったばかりだというのに」
「二人は素晴らしい魔法使いになりますぞ!」

 教師たちの笑い声が廊下の先から聞こえてきて、アルタイルは曲がり角の手前で立ち止った。
 シリウスは天才だ。親も家庭教師もいつだってシリウスの魔法の才能を褒めた。アルタイルだって悪くはないし、むしろ一般的には良い方で昨年の成績は学年5位だった。それでも一位と五位を比べれば五位が劣るように、シリウスの方が優秀だった。一歳の年の差を弟は簡単に埋めてきた。

『シリウスが長男だったらよかったのに』

 いつでも誰もがそう言った。大人たちの話をうっかり聞いてしまったことも、直接言われたこともある。面と向かって大人からそう言われた時は、ショックで何も言えなかった。シリウスが「長男なんて嫌だ」と言い返して、アルタイルの腕をつかんでその場からつれ出した。シリウスはかんかんに怒っていたけれど、アルタイルはただ惨めな気持ちだったのを覚えている。
 家を継ぐなら優秀な子供の方がいい、というのが大人の理屈だった。シリウスより勝っているところが生まれた順番だけということが悔しかった。
 教師たちがこちらに来るのを感じて、アルタイルはそっとその場を離れた。

「あら、アルタイル。どこへ行くの?」

 ローズと出くわした。梟小屋の帰りらしく、細い肩に羽根がついている。アルタイルが指摘すると、ローズは羽根を摘んで窓の外に捨てた。

「どこも、特に予定はないよ」

 図書館でレポートをするつもりだったが、先ほどの教師たちを避けたせいで道を外れ、行く気が失せていた。

「あなたは暴れ柳の所に行かないのね。エリックもウィリアムも幹に石を当てられるかチャレンジだったかしら? 誰が一番近くまで行けるか勝負だったかもしれないけど、とにかくそっちに行っちゃったわ。馬鹿よね」

 今年からホグワーツの庭に新しい魔法植物が仲間入りした。その名の通り枝を振り回して近づく生き物を排除しようとする柳である。危険だから近づかないよう注意は出ていたが、一部の生徒には格好の遊び道具だった。

「先生たちはなんであんな危ないものを植えたんだろう。ルシウスは生徒が怪我すればダンブルドアはクビになるんじゃないかって言ってたけど、死なない限り無理じゃないか?」
「死んでも無理だと思うわ。グリンデルバルトを倒したご立派な偉業をお持ちだもの。……去年のスリザリンのビーターが暴れ柳くらい強気だったら、優勝できたかもしれないのに」
「その話、長くなる?」

 アルタイルは昨年の一年間で、ローズがクィディッチの応援に熱を入れていることも試合に負けると愚痴が長いことも身に染みていた。

「ええ、お茶しながら話さない? 先日お母様が送ってくれたお菓子がまだ残っているのよ」
「喜んで。でもローズ、人に勧めていないで、君もしっかり食べなよ」
「わかってるわよ。でも胃に入らないんだもの」

 うんざりした様子でローズはむくれた。痩せた体は転んだら足が折れるのではと不安になるほどで、日焼けと無縁の肌は青い静脈が透けるほど白い。季節の変わり目にはいつも風邪をひき、校医のマダム・ポンフリーはその度にもっと食べるよう口を酸っぱくして言うのだった。
 二人がスリザリンの寮に向かっていると、下の階で何か騒ぎがあるらしい。人が集まって吹き抜けから下を覗きこんでいた。アルタイルたちは野次馬に加わった。

「あなたの弟だわ」
「何やってるんだ、あいつ……」

 シリウスがスリザリンの同級生を相手に喧嘩していた。杖を振って魔法の打ち合いをしているが、まだ一年生だから可愛らしいものだ。

「何が原因なんですか?」

 アルタイルが隣にいた生徒にきいた。名前も知らないレイブンクローの上級生が答える前に、下で動きがあった。
 シリウスの放った呪いがスリザリン生に当たる。全身の毛穴から滝のような勢いで毛が伸びて床を這った。トリミングを忘れられた哀れなヨークシャー・テリアのような姿に笑いが起こった。
 レイブンクロー生が口笛を吹いた。ローズも面白がって、アルタイルに笑いかけた。

「さすがね。ブラック家の教育の賜物かしら」
「こんな堂々と校則を破ることは教えてないはずだけど」

 ホグワーツでは廊下で魔法を使うことは禁止されている。もっとも、先生のいないところでは多くの生徒が無視している規則ではあるが。
 アルタイルは仏頂面で、階下に向けて杖を振った。

「Finite Incantatem」

 伸び続けていた毛がとまる。シリウスは魔法が飛んできた先をたどって顔を上げ、「げえ」と嫌そうな声を出した。

「馬鹿なまねをして家名に泥を塗るな」
「あんな家、元から泥だらけだろ。悪いのはあいつの方だ」
「先に杖を出したのはそっちだ!」

 スリザリン生が言い返す。口が伸びた毛に隠れているため、声がくぐもっていた。シリウスは目を怒らせて、吠えるように怒鳴った。

「てめえがリリーを穢れた血なんて言うからだ! 純血主義なんてクソくらえ!」

 純血を誇りとするブラック家の魔法使いとして、言ってはいけない言葉だった。しかし、周りに集まっていたグリフィンドールとハッフルパフ、レイブンクローの生徒たち――つまりスリザリン生以外――はシリウスの肩を持った。

「ひどい」
「マグル生まれだからって何も違わないのに」

 野次馬たちから毛玉になったスリザリン生へブーイングが上がる。

「事実を言っただけなのに騒ぎ過ぎよ。マグルの血なんてトロール以下の価値しかないわ」

 ローズがローブにポケットに手を入れ、いつでも杖を抜けるよう身構えた。スリザリン対他三寮の、一触即発の空気が張り詰めている。

「アルタイルもやるか」

 シリウスがアルタイルを挑発的に睨みつけ、杖を向けた。アルタイルの杖を持つ手に力がこもった

「いったい何の騒ぎですか」

 厳格な声に打たれて、生徒たちは一斉に静まり返った。エメラルド色のローブを翻し、マクゴナガル先生が人垣を通り抜け、シリウスの前に立った。

「またあなたですか、シリウス・ブラック。騒ぎの中心にはいつもいますね。前にも言いましたが、廊下で魔法を使うことは禁止されています」
「そいつが悪いんだ」
「言い訳は私の研究室で聞きましょう」
「穢れた血って言ったんだ」
「――なんてこと」

 マクゴナガルが顔色を変えた。遅刻や忘れ物とは比べ物にならないことをしたのだとスリザリン生にもわかったのか毛玉が震える。

「先祖が魔法使いだからマグルだからといって、人の優劣は決まりません。人の価値を決めるのは流れている血ではなく、自分自身の行いです。……スリザリンに三十点の減点。罰則はスラグホーン先生と相談して決めます。今はまず医務室に行きなさい」

 それから、シリウスに向き直った。スリザリンの減点にシリウスはにやにやとしていたが、マクゴナガルの表情が厳しいままなので笑い引っこめた。

「相手の言い分が間違っているからといって、暴力に訴えかけてはいけません。グリフィンドールは十点減点」
「ええー! そりゃないって、先生!」

 マクゴナガルは咳払いをした。これ以上は態度不良で減点されかねない。シリウスも寮の得点は気になるのか口を閉じた。
 先生は吹き抜けを見上げ、アルタイルに目をとめた。隣のローズはポケットから手を出して、喧嘩なんて野蛮なことと関わりないとばかりに澄ましている。

「アルタイル・ブラック、その杖は」
「シリウスがかけた呪いをとめるために魔法を使いました」

 恥じることはしていないので堂々と答えた。周囲から異論が出なかった。

「いいでしょう、そういうことなら仕方ありません」
「俺の魔法だって仕方ないことなのに」

 シリウスは文句を言ったが、マクゴナガルの厳しい視線にまた口を閉じた。
 アルタイルは心の中で家訓を呟いた。

純血よ永遠なれTonjours Pur"――でも、本当に?

 マグルの血は穢らわしいものだと両親は言っているが、家の外では純血主義は批判の対象だった。