第5話 試験をめぐるあれこれ

 期末試験まで一ヶ月を切った。スリザリンはレイブンクローに比べたら研究熱心な性質の生徒は少ないが、試験の傾向と対策についてはその限りではない。歴代の生徒が作ってきた過去問集と今年の予想問題集――ただし、闇の魔術に対する防衛術の教授はこのところ毎年変わっているので注意が必要だ――を回し読む姿が談話室で見られるようになってきた。問題集は寮から持ち出し禁止であり、決まりを破ったら両手が腱鞘炎になる呪いにかかると囁かれているが、実行しようとする生徒がいないため真偽は不明だ。
 アルタイルはエリックとウィリアムと一緒に談話室で試験勉強をしていた。ウィリアムが予想問題に目を通しながら口を開いた。

「アルタイルはスラグホーンのお気に入りだろ、試験について何か言ってなかったのか?」
「言ってはいたけど、あの先生、試験や小テストで出すって言ったところを出さないことがたまにあるからなあ」

 それでも一応、アルタイルはスラグホーン先生の言っていた範囲を今年の予想問題集に書き加えた。
 ペン先が羊皮紙の上を走る音に混じって、嗚咽が三人の耳に届いた。テーブルの上にいる鼠を前にして、少年が途方に暮れたように泣いている。杖を握りしめているから、変身術か呪文学の練習をしているのだろう。
 ウィリアムは眉を顰め、エリックが同情するようにうなずいた。

「試験ノイローゼか……? まだOWLやNEWTには早いだろうに」
「泣きたくなる気持ち、わかるぞ」

 普通Ordinary魔法WizardingレベルLevel試験は五年生、めちゃくちゃNastily疲れるExhausting魔法WizardingテストTestは七年生の時に受ける。試験の結果が将来の進路に関わってくるので、受験生は死に物狂いで勉強し、毎年プレッシャーから神経衰弱に陥った生徒が医務室のお世話になっていた。
 泣いている少年はまだ幼く十代前半のように見える。というより、今年の組分けの儀で見た顔だとアルタイルは思い出した。名前は……覚えていないということは歴史ある純血の家系ではない。繋がりを持っておいた方がいい家系の子なら忘れるはずがなかった。

「どうしたの?」

 アルタイルはその少年にハンカチを差し出した。同じ寮の後輩が困っているなら放っておけない。スリザリンに組み分けされたのなら少なくとも親の片方は魔法使いのはずだから、と心の中で親に弁解する。

「え……? え?」

 少年は驚いてなかなか受け取ろうとしなかった。
 エリックがアルタイルの後から顔を出した。少年を心配しているのではなく、勉強に飽きたからだろう。

「おいおいそんなに怯えるなよ。こいつはいつも怖い顔しているけど、別にお前のことをとって食ったりしないから」
「怖い顔していたか?」
「シリウスがいる時とか」

 心当たりがあるので言い返せなかった。背が高いことも威圧的に見えやすい要因だった。

「アルタイルは成績はいいから、わからないことがあるんなら聞けばいい。僕はよくそうしている」
「まずは顔を拭いてからだ。エリックは白紙のレポートを持ってくる前に、少しは自分で解こうとしてくれ」
「いいのか? かすりもしない回答に頭を抱えるのはお前の方だぞ。明後日の方向に説明が飛ぶレポートを読み解きたいのか?」
「自信満々に言うことじゃないだろ……。もうすでに頭が痛い」

 少年は小さく笑って、袖で目をぬぐった。用済みになったハンカチをしまい、アルタイルが尋ねた。

「何の練習をしていたんだ?」
「変身術です。鼠を嗅ぎ煙草入れにしないといけないんですけど、うまくいかないんです。……マクゴナガル先生は怖くて訊きにいけないし……」

 少年はオーストラリア訛りの英語でこたえた。アルタイルはマクゴナガルに苦手意識はないが、近づき難い雰囲気があることは理解できる。訊きにいけば喜んで教えてくれるのにもったいない。

「針にしたりコップに変えたりするのはどうだった? うまくできたか?」
「はい。なんとか」
「基礎はできているな。家族で嗅ぎ煙草を吸う人はいる?」
「いないです。パイプならおじいちゃんが吸っているけど」
「ああ、それじゃ仕方がないよ。よく知らない物に変身させるのは難しいんだ。だから、できないからって自分をダメだと思うなよ。今まで嗅ぎ煙草入れを見たことも触ったこともないんだろう?」
「授業でちょっとは見たけど……」
「でも、短い時間だったんだろう。どんな形で色をして、材質は何か覚えるには」

 授業では身近な物から変身させている。最初の授業では棒を針に変えた。形がシンプルで変身させやすいし、誰もが触ったことがある物だからという理由が大きい。

「その鼠を羽ペンに変えてみて」
「ええっ、無理ですよ! そんなのやったことないし」
「大丈夫、嗅ぎ煙草入れよりは簡単だから。やってみて。いつも使っている羽ペンの形、色、手触り、書き心地……なんでもいいから思い出して杖を振るんだ」

 硬い軸と柔らかな羽毛の組み合わせでできている羽根ペンは難易度が高い。それでも彼にとっては嗅ぎ煙草入れより簡単だろう。
 少年は半信半疑といった様子だったが、目をつむって一生懸命思い出すように杖を振った。

「あっ……できた」

 羽の色が鼠色で髭が飛び出ているが、ちゃんと羽ペンの形をしていた。

「ほらね」

 アルタイルが微笑みかけると、少年も笑顔を返した。

「マクゴナガル先生も嗅ぎ煙草入れなんて、子供が持っていないような物を課題にするんだから意地が悪い」

 アルタイルが一年生の時も同じ試験内容だったが、やはり授業で初めて見たという同級生は苦労していたように思える。アルタイルにとっては祖父が嗅ぎ煙草を吸っていたので馴染みの物だったが。先生に頼めば見本を貸してくれるが、マクゴナガルを怖がっている生徒は言い出しにくいのだろう。
 羽根ペンから飛び出した髭をぴょこぴょこ揺らしながら、アルタイルは試し書きした。ペン先の硬さは十分。変身させた物を実際に使ってみることは大事で、例えば針に変えた時は見た目はそっくりでもちっとも布に刺さらないといったことがある。

「うん、いい書き心地。羽の手触りもよくできている。何を思い出してやったんだ?」
「えっと、手に持ったときの感じです」
「ということは、見た目より触った感触の方が覚えやすいのかな?」

 アルタイルは使いそびれたハンカチを小さな円形の嗅ぎ煙草入れに変身させた。触覚で覚えられるように模様は絵付けではなく彫り物にし、蓋にスリザリンの紋章の鎌首をもたげる蛇を入れた。

「これをあげるから、毎日触って形を覚えるといいよ」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
「練習頑張ってね」
「はい!」

 元気よく返事をする少年にもう涙はなかった。アルタイルは満足して、ウィリアムのいるテーブルに戻った。まるでレギュラスに教えたときのような気分だった。レギュラスは優秀で家庭教師の授業にちゃんとついていっていたが、たまに宿題を手伝うことがあったのだ。

「アルタイル、僕にも教えてくれよ」

 エリックは魔法史のレポートを突き出した。アルタイルが一昨日前に終わらせた課題だった。

「それはこの前の授業でやったところだろう? もう忘れたのか」
「僕がビンズの授業を起きて聞いているわけないだろう! お願いだよ、アルタイル先生! 僕にはアルタイルだけが頼りなんだ!」

 先生という言葉に少し気を良くする。これから復習しようとしていた鼻詰まりを治す魔法薬の手順は後回しにしていいだろう。

「そこまで言うのなら……。僕の授業は厳しいぞ」
「さすがアルタイル! 頼りになる!」
「先生をつけろ!」
「はい、先生!」
「うるさいからよそでやってくれ……」

 ウィリアムは予想問題集から顔を上げて二人を睨みつけた。