第6話 夏とネクタイ

 期末試験の成績が発表された。アルタイルは去年に引き続き学年五位だった。変身術にてこずっていた一年生の少年、ハロルド・ティロットソンは無事に成功したと大喜びでアルタイルに報告し、エリックはぎりぎり落第をまぬがれた。
 二年生最後の日をアルタイルはエリックたちと一緒に校庭で過ごしていた。気持ちのいい青空だったが、アルタイルの顔はいまひとつ浮かない。

「僕が教えたのになんでそんな悪いんだ……。教え方が悪いのか?」

 頭を悩ましていると、ローズが言う。

「あの子はうまくいったんでしょう? そんなことないわ」
「いや、ハロルドは元々できる子だったから……試験のプレッシャーで潰れていただけで。僕はただ、彼にあった練習方法をアドバイスしただけだ」
「何言っているの、もっと自分を誇りなさいよ。それだって教えたことになるわ」
「というか、エリックのやる気の問題だろ」

 ウィリアムがじろりとエリックを見た。エリックは芝生の上に寝転がって呑気なものだ。

「進級さえできれば僕はいいからな。闇祓いにも癒者にもなる気がないし。勉強なんかできなくても先祖の遺産で暮らしていける。いやあ、パーキンソン家に生まれてよかった」
「家の資産を食い潰して無一文にならないようにな」
「資産管理を人に任せたら人件費がかかるし、横領してないかチェックしないといけないわ。自分でできるよう勉強しておいた方がいいわよ」
「うわー! わかったからもうやめよう! 明日から夏休みなんだ。勉強の話はやめようぜ!」

 アルタイルとローズに甘い考えを打ち砕かれ、エリックは悲鳴を上げた。

 

 

***

 駅のホームまで迎えに来てくれたのは、冬休みと同様に父親一人だけだった。いくらホグワーツに残りたくても夏休みは全員追い出されるので、今回はシリウスも帰ってきているのだが、

「シリウスの姿がないな」
「僕が探してきます。父様はここで待っていてください」

 ホームはまだ人であふれかえっている。別々に探しに行ったら今度は互いを見つけられなくなりそうだ。ホームの出口はマグルの駅につながっており、梟の入った籠や大鍋を持った人が一斉に出ていくとマグルの注意をひいてしまう。一度に出られる人数を制限しているため、混雑が緩和するのはまだ先だ。
 再会を喜んで抱擁する家族や友達と遊ぶ計画を立てる人の間を通り抜ける。魔法使いのローブやマグルの服をまとう人たちの中、一人だけホグワーツの制服を着ている人物がいた。

「シリウス! お前、汽車で着替えなかったのか?」

 シリウスはジェームズと笑い合っていたが、嫌そうな顔でふり向いた。

「げえ、なんで来たんだよ」
「そんな顔をしてはハンサムな顔が台無しだよ」

 横にいる男が朗らかに言った。毛先があちこちに跳ねた黒髪も顔もジェームズに似ている。間違いなく父親だろう。

「私たちの家に来るのはいいけれど、先にご両親に許可をとってからだ。でないと家には入れてあげられないよ。私が君を誘拐したことになってしまう」

 シリウスは渋っていたが、ジェームズの父親にそう言われて仕方なく歩き出した。アルタイルはジェームズの父親に会釈した。お陰でシリウスを説得する手間が省けた。
 ジェームズがシリウスの背中に向かって言った。

「シリウス、絶対遊びに来いよ! 待ってるからな!」
「おう!」

 シリウスは溌剌と返した。輝くような笑顔だったが、アルタイルの元に着く頃には消えていた。気が合わない両親のいる家に帰らなければいけないのだから無理もない。

「ったく、夏休みもホグワーツに残れたらいいのにな。親父はどこ?」
「父様だ。家にいる間くらい話し方に気をつけろ。それとも話し方も忘れたのか?」

 アルタイルは顔をしかめた。少しくらい気を配ればいいのに、シリウスは喧嘩腰でよけいに両親を怒らせる。無駄な労力を使っているようにしか思えなかった。

「生憎、媚の売り方は生まれつき知らねえんだ。ババアは来てる?」
「父様だけだ。母様の神経を逆なでするようなそんな話し方と格好で、火に油を注ぐ気か」
「もう家じゅう燃え上がってんだ、油の一杯くらいで変わんねえよ。ババアは来なかったか。ま、こんなところでヒステリー起こして喚き散らすわけにもいかないもんな」

 シリウスがふてぶてしく唇をつり上げた。アルタイルはため息をついた。

「こっちにまで火の粉が飛ばないようにしてほしいよ」

 父親のところに戻ると、オリオンの表情はシリウスを見た途端に険しくなった。制服のローブを着たままということは、首元にはグリフィンドール寮の赤と黄色のネクタイをだらしなく垂らしたままということだからだ。

「シリウス、ネクタイを……しっかり結ぶ気がないのなら外しなさい」
「はいはい」

 珍しくシリウスはネクタイを聞き分けよくしっかりと結び直した。絶対に外さないぞ、という意思がこめられていることは明らかだった。父は母のように声を荒げることはなかったが、眼差しが冷たかった。
 オリオンの手がポケットの上を撫でる。杖を取り出して魔法で無理矢理ネクタイを取り上げるか迷っているのだろう。シリウスは挑むように父親の目を見返した。結局折れたのは父の方だった。

「……行くぞ」

 父はシリウスが逃げないよう手首をつかんだ。アルタイルは父が伸ばした手を遠慮がちに握る。さすがに夏場は素手だ。筋張った手は乾燥していて体温が低かった。
 姿現しで家のリビングに移動する。レギュラス、クリーチャー、そして母親のヴァルブルガが待っていた。

「ただいま、母様」

 アルタイルの声は母親の耳に届いていないようだった。母の視線は真っ直ぐシリウスに注がれていた。

「なんですかその格好は! 親を馬鹿にするのもいい加減にしなさい!」
「うるせえババア!」

 早速、怒鳴り合いの応酬が始まった。アルタイルは静かにため息をついた。予想はしていたがひどいものだ。夏の間は言い争いが絶えないのだろうと考えると憂鬱だった。いくら家の中が広くても完全に逃げることはできない。
 アルタイルはレギュラスの方を見た。部屋を出ようと声をかけるためだったが、レギュラスの表情に驚いて一瞬、声をかけそびれた。末の弟は険しい顔でシリウスを睨んでいた。

「……レギュラス、僕たちは部屋に行ってよう」
「そうですね」

 レギュラスの声は硬い。クリスマス休暇に会った時はシリウスがグリフィンドールに入ったことに戸惑っていたが、今はもう吹っ切れたようだった。廊下に出た途端、レギュラスは言った。

「シリウスが家のことをどうでもいいって思っていることよくわかったよ。家よりもそんなにグリフィンドールの方がいいんだ」

 シリウスが寮のネクタイをつけたまま帰ってきたのは親に対する当てつけだったが、レギュラスにも効果があったようだ。
 アルタイルは何を言えばいいかわからなかった。アルタイルにとってシリウスの組分けは都合がよかったし、レギュラスのように純粋に家のことを考えることはできなかった。それどころかシリウスの組分けを積極的に容認していて、レギュラスにバレたら罵られてもおかしくない。

「俺は自分の意志でグリフィンドールに入ったんだ! てめえらの言いなりにはならねえ!」

 ドアを閉めていたにも関わらず、シリウスの叫びが屋敷中に響き渡った。棚の中の食器がすべて割れたかのような音が続く。感情のままに魔力をぶつけたのだろう。アルタイルはクリスマス休暇中の母親を思い出し、こういうところが似ているのだと思った。そして、どちらも頑固で一歩も引かないところも。
 アルタイルはシリウスのように親に歯向かうことも、レギュラスのように完全に従順になることもできない。ただ黙って、ドアの前から離れた。