第8話 下手な恋よりずっといい

 ホグワーツに行く日が明日に迫り、クリーチャーが三人の子供たちに持たせるサンドイッチの具を何にしようか悩んでいる頃、アルタイルは父と一緒に書斎にいた。

「閉心術の練習は終わりだ。不意打ちにも対応できるようになったな」

 これから最後の練習を始めるのだろうと身構えていたアルタイルはまず驚き、それからじわじわと喜びが全身に広がっていった。
 二週間前から父は食事の時間やすれ違い様に不意打ちで開心術を仕掛けるようになった。その度に目を閉じてしまったのは最初の頃だけで、今朝は朝食の席でやられたが、息を吸うように心を閉ざして侵入を防いだ。手に持った紅茶のカップの水面は揺れず、レギュラスに話しかけられても返事が遅れることはなかった。

「ありがとうございます。父様のご指導のお蔭です」
「ブラック家を継ぐのだからこれくらいできてもらわないと困る。だが、この短期間で身につくとは思わなかった」

 シリウスを擁護する気持ちやマグルへの興味、そういうものを父に見られるわけにはいかなかった(シリウスに関する記憶を見られそうになると目を閉じたので、父は何かしら感づいたかもしれないが言葉に出すことはなかった。それが父の気遣いなのか無関心さの表れなのか、アルタイルには判断がつかなかった)。必要に駆られた必死さが修得の後押しをしたのかもしれない。心を覗かれる嫌悪感はいつの間にか、誰にも覗かせないという自信に代わっていた。

「開心術も試してみたいです」
「それはホグワーツで練習しなさい。相手ならいくらでもいるだろう」

 実行したら友達をなくしそうなことをオリオンはさらりと言った。誰だって心を覗かれていい気はしないだろう。だが、友達にではなくその辺の生徒で試せば問題ないとアルタイルはうなずいた。開心術と閉心術の存在自体ほとんどの生徒は知らないのだから、気づかれる可能性は低い。

「ばれないようにやるんだ。特にダンブルドアには気をつけろ」

 オリオンは本棚から開心術の本を抜き出し、アルタイルに渡した。

 

 

***

 九月一日、九と四分の三番線に着くなりシリウスは「じゃあな!」と言って家族と離れた。きっとジェームズを探しに行ったのだろう。荷物の重さを苦にせず軽快な足取りだった。ヴァルブルガのこめかみが引きつったが、周囲の目があるので上品な貴婦人の振る舞いを崩すことはなかった。

「本当にあの子は仕方がないわね」
「そうですね」

 アルタイルは当たり障りなく相槌を打った。今日でシリウスと母の争いに直接巻き込まれることは終わりだ。これからはシリウスの愚痴が書いてある手紙を受け取ることになるが、適当に読み流せるので直に聞くより負担は少ない。

「母様、僕はスリザリンに入りますよ」

 レギュラスは凛々しく言った。去年1年間のうちにレギュラスは母様を喜ばせるのが上手くなったとアルタイルは思う。

「レギュラスはいい子ね。それでこそブラック家の子だわ。レギュラス、アルタイル、あなたたちはシリウスとは違うわ。ブラック家に泥を塗るようなことは決してしないと信じているわよ」

 アルタイルとレギュラスは「もちろんです」と返事をした。そして、無口な父に行儀よく挨拶をして、2人は汽車に乗った。
 ホグワーツに着くまで、アルタイルの友人たちと同じコンパートメントで過ごした。エリック、ローズ、ウィリアムの3人だ。

「君がアルタイルの弟か。俺はウィリアム・ブレアだ。よろしく」

 ウィリアム以外は家族ぐるみの付き合いがあるため、レギュラスと会うのは初めてではない。

「久しぶりってほどでもないか。この間ロドルファスとベラトリックスの結婚式で会ったばりだし」

 エリックの言葉にウィリアムが目を丸くした。

「もう結婚したのか! ロドルファスは卒業したばかりだろ」
「純血の血を残さないといけないから、そんなものよ。2人とも子供の頃から婚約していたの」

 ローズが冷めた口調で言った。ウィリアムは外国の珍しい風習を聞いたかのような反応だった。

「へええ。許嫁ってやつ、本当にあるんだなあ」
「そうね。親が子供の結婚を決めるなんて純血の間では驚くことではないわよ」
「高貴な世界は違うな……」

 ブラック、パーキンソン、レストレンジ、どれも歴史の古い純血の一族だ。それより少し歴史が浅いのがオブライエン。ウィリアムの両親は魔法使いだが家系図があるような立派な家ではないらしい……と入学当初についた嘘はすぐにバレて、父親がマグルだとわかっている。多くの魔法使い家は血筋にこだわらずに結婚するし、家系図がある家は少数派だ。
 レギュラスがウィリアムをまじまじと見つめていた。古い純血の世界しか知らないから、一般的な魔法使いの反応が新鮮なのだろう。

「もしかして全員、婚約者がいたりするのか?」
「レギュラスと僕はいない」
「僕もまだだな。血筋は重要だけど、結局は学校での様子で判断されることが多いからなあ。そんな早く決まるもんじゃないぞ」

 シリウスのように血を裏切る者に成長する可能性がある。焦って決めることではない。

「あら、アルタイルはアンドロメダと結婚するんだと思っていたわ」
「本当かよ!? アンドロメダってあのアンドロメダだろ。お前の従姉の」

 ウィリアムが身を乗り出した。アルタイルは落ち着いて返す。

「話は出ているけど、正式に決まったわけじゃない。従姉弟婚が続くことになるから慎重になってるんだ」
「僕の姉がアルタイルの婚約者候補に名乗りを上げているので、検討のほどよろしく」
「あなたのお姉様はルシウスを狙っていたんじゃなかったの?」
「姉上は野心家なんだ」

 エリックは肩をすくめた。パーキンソンと比べると、ブラックとマルフォイは血筋も資産も格上だった。

「俺みたいな庶民には手の届かない話だな」

 ウィリアムは純血のあり方を否定しなかった。否定するようでは、純血が多数を占めるスリザリンではやっていけない。
 純血の世界は閉鎖的だ。マグルだったら実力を認められて貴族に成り上がることも美貌を見初められて家に入ることもあるだろう。しかし、純血のコミュニティで重視されるのは先祖から受け継いできた血だった。どんなに優秀でどんなに美しくても、先祖が魔法使いでなければ見向きもされない。

「それで、アルタイルはどっちを選ぶんだ?」

 好奇心を隠さずウィリアムは訊いた。

「そう言われても、僕の一存で決められるものではないよ」
「どっちが好みとかあるだろ?」
「ノーコメント」
「ええー、隠すなよ。エリックたちは気にならないのか?」
「私も聞いてみたいわ」
「ローズまで……。どっちを選んでも絶対本人たちに言うだろ」

 何を言ってもネタにされてからかわれる未来が見える。沈黙以外に生き残る道はないように思えた。アルタイルがあまり期待せずに助けを求める視線を送ると、エリックは任せろというようにうなずいた。

「僕はどうでもいいよ、アルタイルが誰が好きかなんて。アルタイルの父上と母上が理由はなんでもいいから――他に歳の近い純血の魔女がいないし仕方ないか――とか、とにかく姉を選べばいいんだから」
「何が望みだ、エリック。レポートの代筆か?」
「買収されてるんじゃないわよ」

 ウィリアムとローズはどうしても聞き出したいようだったが、

「アルタイルが嫌がってるからほどほどに……」

 年下のレギュラスにたしなめられて冷静になった。
 アルタイルにとって結婚は決してロマンチックなものではない。犬や天馬のブリーディングのようなものだ。この品種を保つにはどの子と掛け合わせればいい? 恋愛結婚は小説や劇の中だけで、そして身分違いの恋は悲恋と相場が決まっていた。

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