第9話 蛞蝓の食事会

 レギュラスは当然スリザリンに組分けされた。昨年のシリウスのことがあり今年も番狂わせがあるのではと注目を集めたが、組分け帽子は悩む間もなく寮の名前を叫んだ。スリザリンのテーブルに歩いてくるレギュラスは誇らしげに胸を張っていた。
 新学期が始まって一週間が過ぎた。スラグホーンの研究室で開かれる食事会に向かいながら、アルタイルはレギュラスに注意すべきことを教えた。

「いいかレギュラス、スラグホーン先生の前で絶対にマグル生まれを侮辱するな」

 スラグホーンはお気に入りの生徒を集めてスラグ・クラブを作っていた。先日レギュラスに招待状が届いた。アルタイルも一年生の頃からメンバーであるが、才能や野心にあふれた人ばかりの中、自分が選ばれたのはブラック家次期当主という確約された将来があるからだろうと考えている。

「スラグホーン先生はスリザリンの寮監なのにマグル贔屓なの?」
「スリザリンだって一枚岩じゃない。いろいろな考えの人がいるんだ……口に出すかは別として。スラグホーン先生はウィーズリー家のような血を裏切る者ではないけれど、メンバーの中にはマグル生まれがいる。まあ、先生にマグル生まれへの偏見が全くないわけじゃないようだけど」
「そんな人がスリザリンの寮監だなんて。サラザール・スリザリンが見たらなんて言うだろう」

 レギュラスは銀食器に一点の曇りを見つけたみたいに眉をひそめた。
 マグル生まれに魔法を学ぶ資格なし、と主張したホグワーツの創設者の一人は他の三人に反対され最終的には決別した。サラザールがいなくなった後も彼の創った寮は残ったが、純血主義は劣勢のままだ。
 研究室には応接間のように立派な家具が備わっていた。大勢をもてなすのに丁度良い大きなテーブルと座り心地の良い椅子。棚には歴代メンバーの写真が飾られている。その中には卒業後に各分野で成功したメンバーとスラグホーンのツーショット写真もあり、さりげなく、しかし客の目に入るよう置かれていた。

「よく来たね、レギュラス! さあさあ座りなさい。シリウスにはフラれてしまったから君が来てくれて本当に嬉しいよ」

 スラグホーンは相好を崩して迎えた。立派な体型も髭もセイウチに似ている。

「兄が申し訳ありません」
「なに、あの自由さが彼の魅力なんだろう。レギュラスが謝ることではない。君たち三兄弟をそろってスリザリンにもクラブにも迎えられなかったのは残念だが」

 ブラック兄弟が席に座ると、アルタイルの隣にいた男子生徒がレギュラスに声をかけた。にこやかに愛想良く、下心を隠さずに。

「初めまして。僕はダモクレス・ベルビィ。レイブンクローの五年生だ。魔法薬学の研究か投資に興味はないかな?」
「レギュラス、彼のことは無視していい」
「ひどいな。僕はただ、僕という将来大発明をする前途有望な学生のスポンサーをする気はないか尋ねただけなのに」
「ダモクレスは本当に魔法薬学の才能があるからね。今すぐ返事をしなくてもいいから、じっくり考えてみる価値はある。魔法薬の新しい可能性を追い求める姿勢にいつも感心させられる」

 スラグホーンはそれから「魔法薬の才能ならセブルスとリリーも負けていない」と二人の生徒を紹介した。自分の担当科目に秀でた生徒はお気に入りになりやすい。

「セブルス・スネイプはスリザリンの先輩だから話したことがあるかもしれないね。魔法薬が秘めた芸術性をその歳で理解している――もちろん、才能のある者にとって歳など関係ない」

 セブルスは脂っぽい黒髪の男子生徒で、シリウスと同級生だ。眉間に皺を寄せているが無愛想なのはいつものことだった。アルタイルはセブルスがにこりと笑ったところを見たことがない。

「リリー・エバンズも類稀なる魔法薬のセンスがある。マグル生まれというのが信じられんよ」

 赤い髪の女子生徒が微笑んだ。寮も学年もシリウスと同じだ。セブルスとは幼馴染でよく一緒にいるところを見る。今日も隣同士に座っていた。

「リリーよ。よろしくね」
「こちらこそ」

 レギュラスは不快感や侮蔑を一切表情に出さなかった。昨年クラブに誘われたスリザリン生の一人はそれができずに除名されていた。
 友好的な二人の様子を見てスラグホーンは満足そうに目を細めた。レギュラスが関門を突破してアルタイルは胸を撫で下ろす。
 食事会は和やかに進んでいった。スラグホーンがレギュラスに尋ねる。

「レギュラスは何が得意だね?」
「飛行です。家でよく兄たちと飛んでいました」
「ほう! それはいい。ポジションは? シーカー向きの体格だな。去年のスリザリンは惨敗したから、今年は勝ってほしいものだ」
「勝ちを譲る気はありませんよ」

 ハッフルパフのクィディッチチームのリーダーが言った。卒業後はプロになる予定らしい。寮のチームへ参加できるのはニ年生からなので、残念ながら今年のレギュラスは応援席だ。

「うちだって今年は負けないわ。期待の新人がいるんだから」

 グリフィンドールの七年生が対抗意識を燃やす。胸には首席のバッチが光っていた。

「聞き捨てならない情報だ。一体君にそう言わせるのは誰だね?」
「ジェームズ・ポッターです」
「彼か! フィルチから逃げ回っているところを見るに運動神経は良いだろうな。……リリー、そんな顔してどうしたのだね?」
「絶対にあいつは調子に乗ります。グリフィンドールには勝ってほしいけど、あいつの自慢話は聞きたくありません」

 穏やかな空気が終わったのは、甘いトライフルを食べている時だった。

「ダモクレスは進路はもう決めたのかね?」
「卒業したらフランスで研究したいと考えています」
「フランスの研究機関もイギリスに劣らず優れているが……しかし、なぜ?」
「最近、物騒でしょう。ヴォルデモート卿とかいう奴が現れて、マグル生まれが襲われている」

 スラグホーンは不愉快そうに髭を撫でた。先生がヴァルデモート嫌いだということはメンバーなら誰もが知っていた。
 純血主義の中でもヴォルデモートはマグル生まれを殺して排除するという過激派だ。言葉にするのも憚れることを実際に行っている。

「だが、ベルビィは純血だろう。襲われることはない」

 ルシウス・マルフォイが言った。ヴォルデモートに賛同していることはおくびも出さなかった。

「まあね。でも治安が悪くなっているのは事実だ。外を歩いていて襲撃に巻き込まれ、流れてきた呪文で死ぬなんて御免だ。僕は杖を振るのは苦手なんだ。盾も呪文はおろか、毎年呪文学はぎりぎりでパスしている。こんなところで落ち着いて研究できないよ。あいつがまだ捕まらないのは魔法省に支持者がいるからだって噂だし」
「フランス語は話せるのか?」

 不穏な方向に流れてそうになった会話をアルタイルは軌道修正した。

「これから勉強する予定さ」
「それなら、私がフランス語の教師を紹介しよう」

 これ以上ヴォルデモートに関することは聞きたくないのだろう。スラグホーンは食い気味に言うと、語学に堪能だという卒業したクラブのメンバーの話をし始めた。
 食事会はつつがなく終わった。
 アルタイルとレギュラスはルシウスと一緒に研究室を出た。セブルスは魔法薬のことでスラグホーン先生に聞きたいことがあるらしく――ダモクレスも興味があると食いついた――就寝時間ぎりぎりまで話しこむのだろう。

「スラグホーンもマグル贔屓と闇の帝王への嫌悪がなければいい魔法使いなんだが」

 ルシウスがため息混じりにこぼした。スリザリン寮に続く地下の廊下は松明に照らされ、三人の影が揺らめいている。大広間の夕食の時間はとうに過ぎ、他に人気はない。
 マグル生まれの排除を主張しては否定されてきた純血主義たちの鬱憤を、ヴォルデモートは晴らしてくれる。いつからか"闇の帝王"と呼ばれ支持を集めていた。

「あんなに人を見る目があるって自慢している先生が闇の帝王のすごさをわからないなんて信じられないよ。僕は早く一人前になってあの方の力になりたい」

 レギュラスは悪者を倒すヒーローに憧れるように無邪気だった。
 人殺しにはなってほしくないとアルタイルは思うが、純血主義者にとってはマグルもマグルの血が入った魔法使いも人ではない。純血のブラック家の魔法使いとして言うべきことは決まっていた。

「穢れた血をみんな追い出してほしいよ。あの方ならきっとイギリスの魔法界を変えてくれる」

 本心ではあんな殺人者は早く捕まればいいと思っていた。アズカバンに入れられて初めて気兼ねなく称賛できるだろう。ダモクレスが言うように治安が悪くなることも、自分の父親がヴォルデモートの仲間の死喰い人ではないかと噂されることも嫌だった。
 それでも、親の意に従い、スラグホーンの機嫌を損ねず、スリザリンの理想を尊ぶことが賢い生き方だと信じた。恵まれた立場を自ら捨てるなんて馬鹿のすることだ。