第20話 青い血にはわからない

 ホグズミートからホグワーツに戻る道すがら、アルタイルは夕食までどこで時間を潰すか考えていた。自分以外の全員が、三本の箒であったことを早く談話室で話したいと思っていることは火を見るより明らかだった。
 校庭を歩いている途中で、レギュラスが朝食の席で「今日は自主練するんだ」と言っていたのを思い出した。城に向かうのをやめ、クィディッチ競技場に足を運んだ。
 下級生たちは冷たい風をものともせずミニゲームをしていた。使用するボールはクワッフルのみ。上級生がいないためスニッチとブラッジャーを使う許可が降りなかったのだろう。見たところ、スリザリン・レイブンクローチーム対グリフィンドール・ハッフルパフチームの試合のようだ。
  アルタイルは観戦席に座って試合を眺めた。身内贔屓抜きにしてもレギュラスの飛行フォームが一番綺麗だ。観戦に集中しようとしても、どうしても闇の帝王のことを考えずにはいられなかった。
 あいつは人殺しだ。純血でも、血を裏切る者なら容赦しない。闇の帝王にあんな口をきいてよく生きて帰ってこれたものだ。 アルタイルの両手は今さら震えだし、膝の上で祈るように指を組んで握りしめた。指先が冷たいのは、晩秋の気温だけが原因ではないだろう。
 日暮れと共に試合は終わった。結果はスリザリン・レイブンクローチームの勝利だ。箒に乗ったレギュラスが笑顔で、 アルタイルの元に降りた。

「ホグズミードはどうだった? ルシウスとロドルファスに会ったんでしょ」
「そのことなんだけど……」
「どうしたの、 アルタイル?」
「いや、ちょっとな……」

  アルタイルは歯切れ悪く口籠った。今日のことをなんと言ったらいいのだろう。一つ確かなことは、他人の口から聞くより自分で話した方がいいということだ。

「……部屋で話すよ」
「わかった」

 レギュラスは大事な話だと察したようで、素直にうなずいた。
 部屋にはすでにエリックとウィリアムが戻っていた。レギュラスの姿を見るなり、エリックは声を弾ませて尋ねた。

「今日のこと聞いたか?」
「今から話す」

  アルタイルの表情は強張っていたが、浮かれているエリックは気づかなかったようだ。「聞いたら驚くぞ」とおやつを前にした犬のように、 アルタイルが口を開くのを待つ。ウィリアムは椅子の背もたれに肘をついて静観していた。
  アルタイルは椅子に腰かけ、レギュラスにベッドに座るよう促した。

「信じられないと思うんだが、僕たちが会ったのはロドルファスじゃなかった。姿はロドルファスだったけど変装で――」
「誰だと思う?」

 エリックが口を挟んだ。碌なヒントもない状態で、レギュラスは眉根を寄せた。

「ルシウスは本物だったんだよね?」
「ああ、ルシウスはな」

  アルタイルはクイズを出して楽しむ気分ではなかった。

「正解は闇の帝王だ」
「えっ……!?」

 レギュラスが息をのむ。灰色の目が真っ直ぐ アルタイルを見つめた。

「おいおい、あっさりバラしたらつまらないだろ」

 エリックは不満をこぼしたが、レギュラスの反応は満足いくものだったらしい。にやにやと笑みが広がる。

「ま、そんなこと言われても信じられないか」
「いえ、 アルタイルはそんな嘘をつく人ではないから」
「見たかエリック、これが日頃の行いというものだ」
「僕の普段の行いが悪いとでも言いたげだな」
「それで闇の帝王はどんな方だった? どんな話をしたの?」

 レギュラスが身を乗り出した。尊敬する人の話に顔を輝かせている弟へ、 アルタイルは闇の帝王から死喰い人の勧誘があったこと、自分が辞退したことを話した。

「なんで断ったの!? こんなに光栄なこと他にないのに!」

 レギュラスはベッドから飛び降りそうな勢いで叫んだ。予想通りの反応に、 アルタイルは苦笑した。

「闇の帝王がしていることは犯罪だ。いつか闇祓いに捕まる。そうなった時、闇の帝王に協力していたらどうなる」
「そんなの、ブラック家なら揉み消せるんじゃないのか」

 今まで黙っていたウィリアムが口をはさんだ。非難がましい言い方に、 アルタイルは面食い、眉根を寄せた。非難は覚悟の上だったが、ルームメイトの二人は別ではないかと期待していたのだ。特に、マグルの父親を持つウィリアムは。

「なんだって?」
「俺みたいになんの後ろ盾がなくても、死喰い人になろうっていう奴はいるんだ。俺からすれば、ただ臆病なだけにしか見えない」
「信用ならない相手についていくほど無謀ではないんだ。後ろ盾がないからなんだっていうんだ」
「はっ。生まれた時から地位のある人は言うことが違うな」

 ウィリアムの眼差しは刺すように鋭く、唇には小馬鹿にしたような薄ら笑いが浮かんでいた。

「何が言いたい」

 思わず アルタイルは睨みつけた。今さら家のことで距離を置くような言い方に傷ついたのだという自覚はなかった。

「俺みたいな混血の立場考えたことはないんだろうな。ああ、そりゃ必要ないだろうさ、お前には」

  アルタイルが言い返すより早く、エリックが割りこんだ。

「まあまあ二人とも、今日のことでテンション上がってるのはわかるけど落ちつけよ。ウィリアムに何かあった時はパーキンソン家がなんとかするから心配するな。 アルタイルだって、いざって時は後ろ盾になるさ。だろ?」
「当然だ」

  アルタイルは即座にうなずいた。友人を守るためならなんだってするつもりだ。そして、もしこの場にエリックがいなかったら自分は何を口走っていただろうと思うと、背筋が冷えた。
 マグルの血が入っているくせに純血主義の仲間入りか――例えばそんなことを言っていたら、ウィリアムとの仲は決定的に壊れてしまっただろう。
 ウィリアムは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。エリックはざらついた空気を打ち破るように明るい声を出した。

「さて、そろそろ下に行かねば夕飯を食いっぱぐれると思うのだが、どうだろうか諸君」

 全員異論はなかった。

 

 数日が過ぎ、 アルタイルとウィリアムは何もなかったかのように振る舞っていたが、エリックかローズがいないと雪と同じくらい冷え切った沈黙が流れた。古代ルーン文字の授業の終わりがそうだった。二人しかとっていなかったので、無言で指先がかじかむ寒さの廊下を歩く。
  アルタイルは話しかけるきっかけを探したが、話題が泡のように浮かんではどれも白々しい気がして弾けて消えた。
 窓の外を見ると、初雪が舞っていた。灰色の空の下を、見知った少年と少女が校庭を横切っている。少年のマフラーの色は緑と銀のスリザリンカラーで、少女の物は赤と金のグリフィンドールカラー。二つの寮のの仲の悪さを知っているだけに、仲良く並んで歩く姿は目立つ。
 痺れを切らした口は、吟味する前に言葉を放っていた。

「セブルスとエヴァンスか。あの後でもよく普通に話すな。自分が誰に忠誠を誓ったか忘れたわけではないだろうに」
「……お前はやっぱり、混血のことなんかちっともわかってないな」

 呆れた調子の声がして、 アルタイルは振り向いた。ウィリアムは腹立ちと諦めが混じった表情だった。

「純血のお前には考えたこともないだろう? セブルスや俺みたいな混血がやっていくにはどんな努力が必要か」
「ああ、まったくわからない。だから教えてくれないか?」

 嫌味や皮肉に聞こえないよう、声や表情に気をつけて言った。
 ウィリアムは大きなため息をついた。

「お前は根っからのお貴族様だな」

 予想外の言葉に鼻白む。

「闇の帝王をあっさり断りやがって。くそっ。セブルスや俺はな、行動で示さなきゃ信じてもらえないんだよ。いくら口で闇の帝王が正しい、信じてますって言ったところで、半分マグルの血が入っている奴の言葉なんて普通は簡単に信じてもらえないんだ。純血からも穢れた血からもな……。純血はわかるだろ? 穢れた血は『お前だって俺たちと同じくせになんで純血主義につくんだ』なんてぬかしやがる」

 ウィリアムは冷静に淡々と話そうとしているようだが、時々感情が昂ったように声が上擦った。
  アルタイルには一生縁のない苦悩だった。慰めなんて気軽に言えるわけがなかった。

「行動で示さないと信用を得られないってことか」
「理解が早くて何よりだ。……まったくお前ときたら俺が混血だって知っても変わらずに接して。くそ、俺は純血じゃないってのに」
「だってウィリアムは純血主義じゃないか」
「じゃあ俺が純血主義じゃなかったらどうなる? このスリザリンで、マグルの血が入っていて純血主義でもなかったら、どんな扱いを受けることになる?」
「それはっ……」

 スリザリンは純血の生徒たちが幅をきかせている閉鎖的な環境だ。仲間外れや嫌がらせを受けることになってもおかしくない。選択肢はないも同然だった。

「……もしスリザリン以外の寮に入っていたら、ウィリアムは純血主義にならなかったのか?」
「そんなの考えたって仕方ねえよ。同情だっていらないからな。俺は魔法界でのし上がるんだ」

 からりとした声に震えはもうなかった。ウィリアムの目は野心で烱々と光り、危ない橋だろう渡る覚悟はできていると告げている。自分を認めさせるため、闇の帝王の誘いはまたとないチャンスなのだろう。闇の帝王に憧れや尊敬を抱くレギュラスとはまた違う動機だった。