ロンドンは小雪が舞っていた。クリスマス休暇をホグワーツで過ごす生徒は少数派だ。九と四分の三番線プラットホームは夏の帰省時と変わらず混み合っていた。
髪に雪片を乗せたレギュラスが呼びかける。
「クリーチャー、来てるか? クリーチャー?」
反応はない。どうやら屋敷しもべ妖精は家で待っているらしい。
「まあ二人だけなら父様だけで付き添い姿現しができるからな。クリーチャーは今夜のご馳走にかかりきりなのかもしれない」
自分とレギュラスの好物が並ぶ食卓を想像しながらアルタイルは歩き出した。ホグワーツの食事も美味しいが、クリーチャーの手料理には敵わない。
ほどなくして、父が険しい表情で立っているのを見つけた。笑顔で我が子を迎える家族が多い中、にこりともしない姿は目についた。
「つかまりなさい」
挨拶もなく、黒革の手袋に包まれた手を突き出された。
アルタイルの表情が強張った。間違いなく父は闇の帝王の件を知っている。ルシウスが話したのだろう。ならば当然、母も知っているのだ。
「はい」
父の顔に視線を戻すことができない。連行される気分になりながら、手をつかんだ。
反対側の手をレギュラスが握ると、父は何も言わずに姿現しをした。狭いチューブの中を無理矢理通り抜ける不快感の後、三人はブラック邸の居間についた。
暖炉の火は赤々と燃え部屋を十分に暖めていたが、アルタイルはコートを脱ぐ気になれなかった。寒気にも似た緊張が体を包んでいる。後ろめたさから縮こまりそうになる背中を叱咤し、いつものように背筋を伸ばす。
「ただいま帰りました」
「報告することがあるのではないかしら」
ソファに座る母は女王のごとき威厳があった。足元にはクリーチャーが従順に控えている。この屋敷しもべ妖精が一番の忠誠を誓うのは、当主のオリオンではなく夫人のヴァルブルガの方だ。
母を相手にして下手な誤魔化しは愚策だ。アルタイルは単刀直入に言った。
「闇の帝王から死喰い人にならないかと誘われましたが断りました」
母の眉が跳ね上がる。それだけでアルタイルは、いけないことをしたと責められている気分に襲われた。幼い頃から親の顔色を伺っていたのだから自然な反応だった。
アルタイルがこの件を手紙で伝えなかったのは、誰に盗み見られるかわからないからであり、そして間違いなく母の不興を買うだろうと恐れたからだった。問題の先送りにすぎないが、その間に覚悟を決めることはできた。
「それがブラック家として正しいことだとでも――」
「帝王は本名を名乗りませんでした。ヴォルデモート卿なんて明らかな偽名しか。あれは純血なのでしょうか? どこの馬の骨とも知らない奴にかしずく気はありません」
母の言葉を遮るなんて物心ついてから初めてな気がする。どう言うか頭の中で練習してきた。声は震えていないだろうか。体の脇で握りしめた拳に力が入る。せめて目線だけはそらすまいとアルタイルは顔を上げ続けた。
「母様はあれの正体をご存知なのですか?」
突き刺すような眼差しが、アルタイルの体を貫いた。だが、すぐに言い返せないということは知らないのだ、母も。そう思うと対峙する足に力が入った。大丈夫、怖くない。
ヴァルブルガの手が肘置きを握りしめる。長い爪が布地をひっかいた。
「……正体は重要ではないわ」
「あれが本当は穢れた血だったら、そんな奴にしたがってた私たちはとんだ笑い者ですよ」
「穢れた血に崇高な純血の理想がわかるわけないでしょう!」
黙って聞いていたレギュラスが大声で言い返した。ヴァルブルガは加勢を得て余裕を取り戻したのか、ソファにゆったりと背を預けた。
「ええ、レギュラスの言う通りだわ。愚かな想像はやめなさい」
「あれが何者か気にならないのですか?」
「何をそんなに気にしているの。魔法界から穢れた血を追い出す好機だというのに。こんな臆病だとは思わなかったわ」
母は大袈裟にため息をついた。以前のアルタイルであれば母の機嫌をとり戻すことを考えたはずだが、頭に浮かんだのは別のことだった。
闇の帝王の下につきながらマグル生まれと変わらず親しくしているセブルス。
純血主義を利用してやると言ったウィリアム。
皆が純血主義に心から賛同しているわけではない。心でどう思おうと純血主義のふりをすることは簡単で、それを身をもって知っているからアルタイルは簡単に闇の帝王を信用できない。
第一、魔法界からマグル生まれを追い出すなんて今更うまくいくものだろうか。疑念をどう説明したらいいのだろう。言ったところで母が聞く耳を持つとは考えられなかった。
「母様、ご安心ください。僕が死喰い人になります。アルタイルの分も立派に努めてみせます」
「レギュラス!」
アルタイルが振り返る。弟の目は使命感に燃えていた。
母は満足そうにうなずき、嘆息した。
「ああ、ブラック家の期待を裏切らないのはレギュラスだけだわ」
「さすがレギュラス様です」
クリーチャーが我が事のように誇らしげに言った。父は変わらずに無言で、空気のように存在感が薄かった。
「アルタイル、レギュラスを見習って何がブラック家としてふさわしいか考えなさい」
「……はい、母様」
アルタイルは爪がてのひらに食いこむほど強く、拳を握りしめた。地下牢に行けとは言われなかっただけ、まだ完全に失望されたわけではない。けれど親の期待にこたえ続けることができるとは到底思えなかった。