第23話 土曜日の午後

 雪が溶けて濡れた地面が現れ始めた。泥だらけの靴で歩くな、とフィルチがモップを片手に目を光らせる季節だ。
 授業がない土曜日の午後、アルタイルは梟小屋に行った。春風に羽根が舞い上がる。小屋を出る時は魔法で服を綺麗にした方がいいだろう。ブラック家の梟を呼ぶと、天井近くの止まり木から降りて来た。

「これをアルファード叔父様に届けてくれ」

 足に手紙を結びつける。梟は了解したというように短く鳴いた。
 お礼の手紙だった。アニメーガスで鳥に変身しようと思う、鷲とか鷹とかがかっこいい、と叔父に伝えたら、精巧な犬鷲の模型を贈ってくれたのだ。三分の一サイズの犬鷲の模型は今もアルタイルの肩にとまり、首をめぐらせてガラス玉の目に梟たちを映している。杖で叩けば骸骨にも全身内臓模型にもなる優れものだ。
 梟小屋から寮へと戻る途中、アルタイルは本の山を抱えたセブルスと会った。
 セブルスが目礼し、次の瞬間、前のめりにつんのめって転んだ。手をついて顔から床に倒れるのを防いだせいで本が辺りに散らばる。すれ違う人の間から忍び笑いが漏れた。

「Accio. 誰だ、やったのは!」

 すかさずアルタイルは呼び寄せ呪文を唱えた。集まってきた本を片手に抱え、鋭く周囲に目を走らせる。フィルチが床をピカピカに磨き上げたせいで転んだのではない。見えない何かに足をつかまれたような不自然な転び方だった。廊下で魔法を使うのは校則違反だが、今は気にしている場合ではなかった。いつでも応戦できるよう杖を握り直す。
 相手の返事はタペストリーの裏の通路から走り去る足音だった。

「はっ、姿を見せる度胸もない卑怯者が」

 アルタイルは冷ややかに一笑した。逃げも隠れもしないシリウスとジェームズの方が、反撃しやすいという点ではマシである。もっともあの二人のやることは数倍質が悪いのでより始末に負えないのだが。今回はジェームズとシリウスに便乗した輩の仕業だろう。
 居合わせた男子生徒が眉を吊り上げた。赤いネクタイとPバッチをつけている。

「おい、スリザリン! 十点減点だぞ!」

 よりによってグリフィンドールの監督生がいるとはタイミングが悪い。アルタイルは顔をしかめた。スリザリン生なら当然見逃してくれるし、レイブンクローとハッフルパフなら聞く耳を持ってくれる。

「廊下で魔法を使うのは校則違反だぞ」
「彼が落とした本を拾っただけです。騎士道精神を重んじるグリフィンドールのあなたなら、人を助ける大切さはよくおわかりでしょう」
「そんな言い訳が通用するか。手で拾えばいいだろう」
「生まれた時から魔法が使えたので、そんな方法があるなんて思いつきませんでした。身をかがめるより、杖を振った方が早いですから」

 監督生の顔に赤みがさした。アルタイルは涼しげな顔で続ける。

「それに僕を減点するなら他にも魔法を使った者がいるじゃないですか。セブルスを転ばせた奴が」
「そいつが勝手に転んだんだ。誰もそいつの足を引っかけたりしていない」
「本気でそう言っているのならとんだ節穴ですね」
「今ここで杖を抜いていたのは君だけだ。他に魔法を使った奴がいた? 聞いてみようじゃないか――誰か目撃した者は?」

 たまたま立ち会った数人の生徒たちは、互いに顔を見合わせて何も言わなかった。全員がハッフルパフのネクタイを締めていて、学年は一、二年生くらいだろうか。上級生のやりとりに口をはさむのは怖いのだろう。
 監督生は勝ち誇った顔で腕を組んだ。

「ほら、見ろ」

 ここが引き際か、とアルタイルは杖をしまった。これ以上言い合って先生に見つかったら面倒なことにしかならない。十点くらい次の変身術の授業で倍にして取り返せる。
 監督生と入れ違いに、リリーがローブの裾を弾ませながら駆け寄ってきた。

「セブ、ママがお菓子を送ってくれたの。一緒に食べない?」

 溌剌とした笑顔をセブルスに向け、アルタイルにも微笑みかける。前にシリウスとジェームズの悪戯からセブルスを助けたことがあるからか、リリーはアルタイルのことを嫌ってはいないようだ。
 アルタイルは仏頂面で目礼した。挨拶を返さないほど礼儀知らずではないし、かといって言葉を交わすほど親しくはない。
 憎々しげなセブルスの視線がアルタイルの肌に突き刺さった。とっくに立ち上がっていたセブルスに、アルタイルは問いかける。

「怪我はないか?」
「助けてくれとは言っていない」

 セブルスはアルタイルの腕から奪うように本をとった。

「ちょっと、何があったのか知らないけどそんな言い方ないでしょう。半分持つわ」
「これくらい一人で持てる」
「私が持ちたいから持つの」

 セブルスがしっかりと胸の前で抱いた本を、リリーが当たり前のように取っていった。アルタイルは立ち去ろうとしたが、こちらを見上げるリリーの視線に足をとめた。大きく開いた緑色の目から好奇心があふれ出ている。

「何の用だ?」
「それ、本物の鳥じゃないわよね?」
「ああ。模型だ、変身術の見本用の」
「マグゴナガル先生みたいに動物に変身するの? 素敵ね!」
「リリー、早く行こう。スラグホーン先生との約束に遅れる」
「まだ大丈夫よ。ブラックは時間大丈夫かしら?」

 時間なら余っていたが、同じ寮の後輩が警戒した様子なので辞退しておこう。自分はシリウスの兄で、セブルスを開心術の練習に使おうとした。身構えられて当然だ。
 アルタイルはセブルスの肩越しに、こちらに歩いてくるダモクレス・ベルビィを見つけた。今日はスラグクラブのメンバーによく会う日らしい。

「やあ、みんなおそろいだね。集合場所はここだっけ? アルタイル、君も参加するとは知らなかったよ」

 満面の笑みを浮かべるダモクレスに、アルタイルは心持ち距離をとる。ダモクレスは気づいているのかいないのかお構いなしだ。

「偶然会っただけだ」
「これからスラグホーン先生と魔法薬学の繊細さと深淵について語り合うんだ。アルタイルもどうだい? 未来のスポンサーに僕の研究を説明しよう」
「いや、呼ばれてないのに行くのは気がひける。というか出資するとは一言もいっていないぞ、ダモクレス」
「僕のパートナーといえば大丈夫だ」
「パーティじゃないんだから」

 行ったところでスラグホーン先生とダモクレスたちの話にはどうせついていけない。ダモクレスたち三人にはスラグホーン先生お墨付きの飛び抜けた魔法薬学のセンスがある。アルタイルは教科書通り魔法薬を作ることはできるが、教科書を疑い、もっと効率のいい方法があるのでは、これとこれを組み合わせれば新しい薬かできるのではという発想は浮かばない。魔法薬の天才たちが話す間、アルタイルはお茶をすするしかやることがないだろう。

「ええーつれないなあ」
「スポンサー候補に説明するというのならきちんと資料を作ってからにしてくれ」
「言質は取ったぞ。用意するから金の準備をして待っているんだ」

 アルタイルといつものやりとりを終えた後、ダモクレスの興味はセブルスの本に移ったようだ。一番上にあった本当をあっさりと取り上げた。

「おや、人狼について? セブルス、人狼にも興味があるのかい。うんうん、満月の夜だけ理性なき獣になる、興味深いよね。これはとても充実したお茶会になりそうだ」

 楽しげなダモクレスの声を聞きながら、アルタイルはその場を去った。