第26話 線路上でたゆたう

 夏の間中アルファードの家で過ごせたらどんなによかっただろう。だが、母が滞在を許可したのは3日間だけだった。
 鏡の水面邸の居間では、帰り支度を整えたアルタイルとレギュラスが暖炉の前に立っている。シリウスはテーブルに着いたまま、なかなか重い腰を上げようとしなかった。

「帰りたくねえ。あんな所、どんなにひどいかアルファードだってわかっているだろ?」
「それでもあそこがお前の家だ、シリウス」

 アルファードが諭すように言い、シリウスが不満げに下唇を突き出した。結局のところ、アルファードはブラック家の変わり者と言われながら、決して出奔しなかったのだ。

「ヴァルブルガの機嫌を損ねなければまたすぐに来れるさ」
「どうだか」
「少なくともここでヴァルブルガが連れ戻しに来るのを待っているよりは建設的だな」

 その様子を想像したのだろう、シリウスは顔をしかめて渋々立ち上がった。
 音を立ててミザリーが姿を現した。

「旦那様、坊っちゃまたちのお荷物をお運びおわりました!」
「ああ。暖炉に火をつけてくれ」

 ミザリーが指を鳴らすと、暖炉に赤い火がついた。棚の引き出しがひとりでに開いて、フルパウダーの入った箱が宙を飛んでミザリーの手に収まった。

「ありがとうミザリー。世話になったね」

 レギュラスが微笑むと、屋敷しもべ妖精の大きな耳が震え、大きな目から大粒の涙があふれ出した。

「もったいないお言葉でございます! レギュラス坊っちゃまはなんてお優しいのでしょう! ミザリーは坊っちゃまたちのお越しをお待ちしていらっしゃいます。精一杯お世話するのでございます!」
「愉快な新しいおもちゃについては内緒だぞ」

 アルファードが悪戯っぽくウィンクした。アルタイルは真面目な顔でうなずき、シリウスはにやりと笑った。レギュラスは呆れた目で叔父を見ながら小さく首を縦に振った。レギュラスも半ば強引とはいえバイクに乗ったし、空飛ぶバイクに乗ったシリウスと箒で競争して楽しんだのだから共犯だ。

「叔父様、近いうちに手紙を書くよ」
「ほどほどに頑張れよ、アルタイル。気負いすぎて潰れないようにな。今年はO. W. L. があるしな。あれで神経衰弱になる奴はごまんといるんだ、上級生の様子でわかっているだろうが」
「僕はそこまでやわじゃない。心配しないで、叔父様」

 むしろ心配なのは叔父様の体調の方だ、とアルタイルは目で伝えた。アルファードは正しく読みとったようで、困ったようにこけた頬をかいた。
 アルタイルたちはそれぞれアルファードと別れの挨拶をすませると、ロンドンにあるブラック邸に帰っていった。

 それから、ホグワーツからの手紙が届いたのは、7月の下旬のことだった。朝食を食べ終えたアルタイルたちの元に、梟が封筒を置いていった。
 アルタイルは自分の分の封筒が、妙に厚いの気がついた。教科書のリストの他に何かが入っている。ペーパーナイフで開けて中から転がり出た物に、アルタイルは「あっ」と声を上げた。

「どうしたの? それって……アルタイル、おめでとう!」

 振り返ったレギュラスが、アルタイルの掌の上にある物に気がついた。監督生バッチだ。
 げ、と嫌そうな顔をするシリウスに、アルタイルは言った。

「これでお前のタチの悪い悪戯とやらを減点できるな」
「職権乱用はよくねえぞ」
「校則を破るようなことをしなければいいだけだ。違うか、シリウス?」

 そして、アルタイルは誇らしげに両親の方を向いた。

「そうか」

 父親は軽くうなずいただけだった。そっけない反応に、アルファードならどんなに喜んで褒めてくれただろうと思わずにいられない。
 母親は厳しい表情のままで、にこりとも笑わなかった。

「ええ、もちろん。ブラック家の者としてそれくらい当然のこと。もし監督生に選ばれなかったら恥ずかしくて表を歩けなかったわ。ただでさえどれだけ恥をかかされていると思っているの?」

 小言が始まった。アルタイルが闇の帝王に非協力的で、純血としての義務を果たさないことについてだ。
 神妙な顔で拝聴するアルタイルの視界の端で、シリウスが矛先が向かないうちにこっそり居間を出て行くのが見えた。アルタイルは、反感が出ないように心を閉ざして、ひたすら嵐が過ぎるのを待った。

 

 

***

 

 9月1日、紅色のホグワーツ特急の先頭車用にアルタイルは乗り込んだ。そこが監督生のために用意された車両だった。先輩たちが新入生を案内する仕事や監督生専用の風呂場などの説明をする。

「まずは汽車の見回りがあるわけだけど、グリフィンドールのポッターとブラックは要注意よ。奴らのせいで私たちの仕事は増やされる。遠慮なく減点しなさい。ろくなことをしないのだから」

 7年生のスリザリンの監督生の言葉に、すかさずグリフィンドールの監督生が言い返す。

「減点には慎重になるべきだ。だいたい陰険なスリザリンのやり口に比べれば、ポッターたちの悪戯なんか可愛いものだね」
「監督生が校則違反を庇うのは問題ありよ。監督生としての資質を疑うわ」
「というわけで、早速見回りに行きましょうか」

 ハッフルパフの監督生が慣れた様子でその場を切り上げた、新しい監督生たちに外に出て出るよううながす。

「困っている新入生がいたら手助けして、あとは友達のところに行くなり自由にしていいけれど、駅に着く前にはここに戻りなさいね」

 監督生たちは示し合わせたように寮ごと学年ごとに分かれて行動し始めた。

「見回りと言ってもねえ……新入生の組み分けが終わらないと減点だってできないし、私は友達のところにでも行ってくるわ」

 スリザリンの新しい女子の監督生は、さっさとアルタイルと別行動を始めた。コンパートメントをひとつひとつ見て回るような厳格な仕事ではないため、サボったところで誰かに文句を言われるわけでもない。
 アルタイルも真っ直ぐエリックたちのところに行っていいのだが、形だけの見回りをすることにした。
 通路を歩いていると、見覚えのある顔と会った。シリウスやジェームズの後ろをついて回っている小柄なグリフィンドール生だ。名前は確か、

「ピーター・ペティグリュー」
「は、はい」

 まさか呼び止められるとは思わなかったのか、ピーターは猫に見つかった鼠のように肩を震わせた。

「とって食うつもりはない。そんなに怯えなくてもいい。……いや、僕に見られたら困るようなことでもしていたか?」
「いえ! してないです!」

 アルタイルが呆れるほどピーターは怯えた様子で首を横に振った。怖がらせるようなことをした覚えはない。ピーターの過剰ともいえる反応は心外だった。

「シリウスとポッターはどうした? セブルスに糞爆弾か長々花火でも投げつけにいったか?」
「まだしてないです」
「まだ?」
「いえ、しないです! そんなこと……きっと……」

 ピーターが目線を泳がせ、自信なさげな声は尻すぼみに消えていった。

「セブルスを探している最中だったか?」

 かまをかけると、ピーターの肩がびくりと震えた。その反応が答えだった。アルタイルはため息をついた。

「セブルスの居場所をシリウスたちに伝えたら君も同罪だ、ペティグリュー。自分はセブルスに直接手を出していないなんて言い訳は通用しないぞ」

 ピーターが小さくうなずいた。
 効果があるかわからないが釘を刺しておくに越したことはない。セブルスも厄介な奴に目をつけられて大変だ、とシリウスの兄として申し訳なく思う。
 それからしばらく歩くと、通路で立ち話をしているスリザリン生たちと会った。

「監督生に選ばれたのか、おめでとう」
「ありがとう」

 当たり障りのない挨拶を交わす。彼らはスリザリンの中でも死喰い人に選ばれた生徒たちだった。早々に会話を切り上げてアルタイルが立ち去ると、マルシベールの声が背後から聞こえてきた。

「どうせ家柄で選ばれたんだ」

 息がとまった。弱いところを的確に突かれた。背中から心臓をナイフで刺されたようだった。
 振り返れない。言い返せない。
 馬鹿にするなと杖を突きつけてやれたらどんなによかったか。たが、言い返すだけの根拠が自分の中になかった。
 家柄で選ばれた――そんなことは自分でもわかっている。ブラック家の人間でなくても監督生に選ばれたと言えるだけの自信がない。
 だから聞こえなかったふりをして逃げた。自分が悔しかった。