第27話 談話室をはなれて

 空き教室は申請すれば自主勉強やクラブ活動の場として借りることができた。アルタイルはマグゴナガル先生から部屋の許可をとり、マグゴナガルから借りた三面の姿見を運び込んだ。屋敷しもべ妖精に運ばせようとしたらマグゴナガルが渋面を作ったので、アルタイルは自分で浮遊呪文で移動させた。屋敷しもべ妖精になんでも任せては魔法が上達しないというマグゴナガルの言い分はもっともだった。
 鏡に全身を映したアルタイルは顰めっ面で頭をかいた。さらさらの指通りのいい髪に、ふわっとした感触のものが混じっている。茶色い鳥の羽だった。姿が変わったのは何本かの髪の毛だけで、他は変わりがない。アニメーガスを習得するのはまだまだ時間がかかりそうだった。

「アルタイル、ここにいたのね」
「僕たちもお邪魔していいですか」

 そう言って入っきたのはローズとハロルドだった。ハロルドが壁に積まれた机と椅子を下ろすと、舞い上がった埃にローズがくしゃみをした。

「鳥人間になってるかと思ったけど全然ね」

 ローズはつまらなそうにアルタイルの頭に手を伸ばした。青白く華奢な指が羽をつかんで引っ張る。

「痛いから抜こうとしないでくれ」
「少し触るだけよ」
「鳥じゃなくてドラゴンに変身しましょうよ。強くてかっこいい。火も噴ける」
「ドラゴンに変身できたら僕の名前が教科書に載るだろうな。姿の模倣だけならともかく、火噴きの再現までできたら世紀の発見だ」
「その話、長くなります?」

 魔法生物のアニメーガスに成功した魔法使いはいない。アルタイルにとっては興味深いテーマだが、ハロルドにはそうではないようだ。
 ハロルドが魔法で埃だらけの椅子や机を清めた。加減を間違えて泡だらけにしていたが埃は取れた。綺麗になった机の上に、ハロルドとローズが書きかけのレポートやお菓子を鞄から取り出して広げる。

「何もここでくつろがなくても」
「談話室は居心地悪いですし、図書室じゃお菓子が食べられないじゃないですか」
「医務室は追い出されてしまったもの」

 ローズが気怠げに髪をかきあげた。体調を崩して今朝まで医務室に寝泊まりしていたのだ。

「じゃあルーピンと一緒だったんですね」
「私しか医務室にいなかったわよ」
「ええ? 昨日から休んでるのに」
「聖マンゴ病院にでも行っているんじゃないの? ……はあ、O. W. L.ばっかりで嫌になるわ」

 ぱらぱらと教科書をめくったローズのため息をついた。長い茶色の髪がうつむいた顔に陰を落とす。先生たちは口を酸っぱくしてO. W. L.の勉強をしろ、試験日まで1年を切ったのだと脅してくる。休みがちで授業についていくのに手一杯のローズには辛いだろう。
 鏡と睨めっこしていたアルタイルが、何度目も杖を振った末にようやく羽を髪の毛に戻した。複雑な変身術だから元に戻すのも一苦労だ。

「アルタイルは余裕そうですね」
「アニメーガスの練習は息抜きちょうどいいんだ」
「勉強の息抜きに勉強?」

 オルガンを弾くトロールに遭遇したような顔でハロルドはアルタイルを見つめた。

「アニメーガスは試験に関係がないから気楽にできる」
「でも勉強ですよね?」
「勉強大好きなアルタイルに何を言っても無駄よ」
「なんでレイブンクローに組分けされなかったんですか?」
「そういえば帽子はスリザリンかレイブンクローで迷っていたな」

 組分けのことを思い出す。組分け帽子がレイブンクローも良さそうだと言った時、アルタイルは即座に嫌だと思った。ブラック家の魔法使いとしてスリザリン以外の寮は考えられなかった。スリザリンじゃなかったら、母様がなんと言うだろう。帽子がアルタイルの意思をくんだから組分けはすぐに決まった。時間がかからなかったから、帽子が迷ったと誰も気づかなかったはずだ。アルタイルもスリザリン以外の適性があったことが恥のような気がして、今まで誰にも言っていなかった。

「へえ、初耳。私はスリザリン一択だったわ」
「僕もすぐにスリザリンになりました」
「見栄張らなくていいのよ。正直にハッフルパフに入れられそうだったって言っても、アルタイルも私も気にしないわ」
「どういう意味ですか。聞き捨てなりませんよ」

 スリザリンではハッフルパフは愚鈍と馬鹿にされがちだ。ローズに食ってかかったハロルドだったが、すぐに勢いをなくした。行儀悪く頬杖をつく。

「いやでも、ハッフルパフの方がよかったかもしれないですね。今のスリザリンは闇の帝王万歳ってうんざりですよ」
「スリザリン生を前によく言うな」

 率直な不満にアルタイルはぎょっとした。よく言えば仲間意識が強い、悪く言えば排他的なスリザリンで主流派の意見に口答えするのはリスクが高いとアルタイルは感じている。スリザリンで平穏に過ごしたければ長いものに巻かれるのが一番だ。

「だって2人とも闇の帝王信者じゃないですよね」
「当然でしょ。あいつ、男しか呼ばなかったわ」

 ふん、とローズが鼻を鳴らした。去年の冬にあった死喰い人の勧誘のことを言っているのだろう。
 闇の帝王から直々に声をかけられた生徒のことは、スリザリン生の間では公然の秘密だった。それを断ったアルタイルのことも。スリザリンのヒエラルキーは、今や死喰い人であることが何よりのステータスであり頂点だ。以前は生まれついた家柄が全てだったが、死喰い人になればのし上がることも可能なのだ。寮での死喰い人の立場が確かなものであるほど、その上に立つ闇の帝王の影響力もまた強くなる。

「自分に声がかからなかったからいじけてるんですか?」

 からかうハロルドに、ローズは真面目な顔で返す。

「馬鹿言わないで。帝王の頭の古さに失望したのよ」
「男しか呼ばなかったから? 偶然じゃないのか」

 そう口にしたものの、あの時呼び出された面子を思い出したアルタイルは、彼らが呼ばれたのなら彼女たちがいたっておかしくないのかと家柄や成績のいい女子生徒を何人か頭に思い浮かべた。だから、ローズの返事に反論はなかった。

「偶然で片付けるには明確な偏りを感じるわ。捕まったり指名手配されている死喰い人は圧倒的に男の方が多い。それに呼び出したのが男子生徒だとなったら、ああこいつは女嫌いか女は家庭に入るべきって頭なんだって思うわよ」
「言われてみればそうだな。純血の責務は次の世代に血を残すことだ。死喰い人になって戦うより家にいて子供を産み育てろか、ありえそうな話だ」
「家のことは屋敷しもべ妖精にさせればいいのにね。ホグワーツの4人の創設者の内2人は魔女だっていうのに」
「どの家庭にも屋敷しもべ妖精がいると思ったら大間違いですよ。あーあ、卒業したらさっさとオーストラリアに帰ります。きな臭いのは勘弁です」
「外に家がある奴は気楽でいいな」

 ダモクレスも卒業後はフランスに行く予定だったか、と魔法薬学が得意なレイブンクロー生の顔が頭をよぎった。ダモクレスやハロルドの身の軽さは少しばかり羨ましくある。純血のアルタイルは亡命する必要はないし、逃げるのはプライドが許さないが。

「ふふん、アルタイルならうちに来ていいですよ。羊の世話係として雇いましょう」
「あら、いいわね」

 くすくすとローズが笑った。
 死喰い人がいるスリザリン寮で闇の帝王の批判をしたら確実に耳に入る。窮屈になってきた最近のスリザリンで、こうして気兼ねなく話せる友人がいるのは貴重だった。