第28話 巡らない夜の破片

 一日の授業が終わってスリザリンの談話室に戻るなり、アルタイルはエリックから呼ばれた。

「アルタイル、ちょっと来てくれ」

 エリックは隅にあるソファに座っていた。隣にはセブルスがいる。硬くて座り心地の悪いその席はセブルスの定位置だった。寮で孤立しがちなセブルスだったが、闇の帝王に声をかけられからは同じ仲間と一緒にいるところをよく見るようになった。それが良いことなのか、アルタイルにはわからない。

「これどう思う?」
「やめろ。人に見せらるようなものじゃないんだ」

 セブルスが慌ててテーブルの上にある羊皮紙をかき集めようとしたが、エリックは一瞬でかっさらった。エリックの方が背が高いから腕を伸ばしてしまえばセブルスには届かない。

「後輩を虐めるなよ」

 羊皮紙を受け取ったアルタイルはすぐにセブルスに返すつもりだったが、視界に入ってきた文字列に興味を引かれて読んでしまった。

「杖の振り方……呪文……初めて見る。いや、これじゃダメだ。人を逆さ吊りにするならこの呪文じゃ効果は……」
「だから人に見せらるようなものじゃないって言っただろ」

 セブルスが土気色の頬を上気させて言った。早く返せとばかりにセブルスは手を出したが、アルタイルの目は羊皮紙に釘づけだった。

「セブルスが考えたのか?」

 新しい呪いの発明とは、セブルスの才能は魔法薬だけではないようだ。

「すごいだろ」

 エリックは自分のことのように自慢げだ。セブルスは卑屈に唇を噛んだ。

「まだ完成してないんだ。それがダメなことくらい自分でわかっている」
「おいおい、そんな苛々するなよ。褒めてるんだから」
「人のノートを勝手に見るな」
「見られて減るものじゃないんだしケチケチするなよ。それにひとりで考えるより2人の方がいいアイディアが浮かぶんじゃないか? なあ、アルタイル」

 アルタイルは夢中になって、口に手を当てて考え込んでいた。口の中でぶつぶつと呪文を唱えては、ああでもないこうでもないと頭を悩ませている。

「エリックは考えないのか」

 セブルスがきくと、エリックは朗らかにこたえた。

「僕は頭脳労働向きじゃないからな。得意な奴にやらせた方がいいだろ。完成したら教えてくれよ。その呪いをかけたい相手がいるんだ。逆さまってところが気に入った。ただの宙吊りよりずっと苦しいしかっこ悪い」
「エリックも協力してくれ。Levicorpus!」

 アルタイルは杖を取り出して、呪文を唱えながら振った。エリックの足が持ち上がってソファの上にひっくり返る。頭がソファの背もたれにぶつかった。
 ひっくり返った姿勢のまま、エリックがアルタイルを見上げた。

「っおまえ……!」
「この杖の振り方ならいけると思ったんだが」

 固いソファとはいえクッションがあるし大丈夫だろう、とアルタイルは判断した。

「なるほど。ひとりで考えるより、実験台がいた方がいいな。今の杖の振りをもう一度やってみてくれ。見逃した」
「くそ、人でなし。友達をなんだと思っているんだ薄情者――ってお前ら聞いていないな」

 アルタイルが再現した杖の振り方を、セブルスが羊皮紙に書きとめている。真剣なセブルスの様子にはもう勝手にノートを見られた不満はなかった。
 エリックはぶつけた頭をさすりながら立ち上がると、没頭する2人の邪魔にならないように離れた。この後アルタイルから実験台から逃げただろ、と言われることになるのだが。

 

***

 

 アルタイルは忙しくも充実した日々を過ごしていた。試験勉強にアニメーガスの練習、そして呪いの開発。勉強に集中するというのは、人から離れたい時に便利な言い訳だった。たとえば、マグル擁護派の魔法使いが惨殺されたという日刊預言者新聞の記事に歓喜するスリザリン生の輪から抜け出す時なんかに。
 図書室に向かいながらアルタイルはため息をついた。これはただ逃げているだけだ。寮内で積極的に孤立するような行動が良いはずがない。
 アルタイルは廊下の先に見知った顔を見つけた。暗い気分を切り替えて呼びかける。

「セブルス、ちょうどいいところに。この前の呪いの話なんだが――」

 呪文学で新しく習った魔法を応用するやり方について語ったが、セブルスの反応はどこか上の空だった。

「聞いているのか、セブルス?」
「え? ああ、すまない。少し考え事をしていた」
「そうか。この話はまた今度にしよう」
「そうしてくれると助かる」
「もし悩み事があるのなら遠慮なく頼ってくれ。僕にできることは限られているが話くらいならいつでも聞こう」

 余計なことかと迷ったが、アルタイルは言った。呪いの開発をきっかけに話す頻度は増えたが、個人的な問題に立ち入るほどセブルスと親しくはなっていない。セブルスとシリウスの関係を考えると、シリウスの兄である自分をセブルスが頼るとは思えなかった。
 歩き出したアルタイルの背中を、セブルスが呼び止めた。

「身内の側に狼人間がいるとしたらどう思う?」
「何?」

 アルタイルは険しい表情で振り返った。
 狼人間といえば闇の帝王の手下のフェンリール・グレイバックが真っ先に思い浮かぶ。指名手配のポスターがダイアゴン横丁やホグズミードに貼られている。帝王は自分の意に沿わない魔法使いの脅しに使っていた。

「闇の帝王が仕向けたのか」

 心当たりはあった。闇の帝王の誘いを断った自分、あるいはグリフィンドールに組み分けされて家に反抗中のシリウス、マグル生まれと駆け落ちしたアンドロメダ。
 セブルスは言ったことを後悔するかのように視線をさまよわせた。

「いや、忘れてくれ」
「知っていることを話せ」

 アルタイルは去ろうとするセブルスの腕をつかんだ。真剣に真っ直ぐに、ひとつの嘘も見逃さないように、セブルスの目を見つめる。穴のように暗い目に、背中がざわつくような不安が湧き立った。
 セブルスの顔に歪んだ笑みが浮かんだ。

「シリウスを心配するんだな」

 アルタイルとシリウスはホグワーツでは互いに嫌いあっているふりをしている。それが、どうした。シリウスはアルタイルの弟だ。心配するのは当然だ。建前を吐き捨てたい衝動を抑え、頭に残った冷静さでアルタイルはこたえる。

「あれでもまだブラック家に名を連ねているんだ。シリウスひとりの問題じゃない」
「そういうことにしておこうか」

 勘に触る言い方だ。腕をつかむ手に力が入る。だが、ここで口論しては先に進まない。

「場所を変えるぞ」

 廊下には他に人はいなかったが、いつ誰が通りかかるかわからない。アルタイルは近くの空き部屋にセブルスを引っ張っていった。
 アルタイルが腕を離すと、セブルスは顔をしかめて腕をさすった。アルタイルが思ってた以上に強い力で握っていたらしい。

「シリウスの側に狼人間がいるというのか?」
「おそらく。……いや、確実に。だが闇の帝王は関係がない。僕の推測だが、リーマス・ルーピンは狼人間だ」
「ルーピンって、シリウスといつも一緒にいる彼か?」

 セブルスはうなずいた。
 ルーピンについてハロルドとローズと話したことはまだ記憶に新しい。そういうことか、と腑に落ちた。欠けていたパズルのピースが見つかった気分だった。ハロルドの言葉とローズの言葉が、狼人間というピースで繋がる。

「ルーピンはよく授業を休むと聞いたが、休む周期があるんだな?」
「そうだ。満月の前後だ」

 ローズとルーピンが医務室で会わないわけである。ローズが体調を崩しやすい季節の変わり目や流行病とは関係がないのだから。それに、医務室で変身するわけにはいかないだろう。狼になると理性を失い、人に襲いかかる。現在の魔法では治療方法はない。狼人間になった者は、満月の夜は自ら檻の中へ入り変身に備えるという。

「闇の帝王は関係ないって言ったな?」
「哀れに思ったダンブルドアが入学させたんだろう。狼人間を入学させたんだ。身辺調査くらいしていると思いたいね」

 アルタイルは安心した。体の強張りがとけたアルタイルに、セブルスは苛立ちが混じった声で言う。

「ホグワーツに狼人間がいるんだぞ。安心していいのか?」
「ルーピンを追い出したいのか」
「当然だろう。いつ誰を噛むかわからないものが側にいるんだ。アルタイルだって不安じゃないのか? 真っ先に噛まれるとしたら一緒にいるあんたの弟だろうに」
「シリウスが噛まれたらセブルスは嬉しいんじゃないのか? まあ、ホグワーツの対策は気になるところだが」
「安全を考えたら入学させないのが一番だ。まして寮生活だと? これでよくホグワーツはイギリスで一番安全だなんて言えたものだ」

 セブルスは得意の魔法薬や闇の魔術を語る時のように饒舌だった。ずっと誰かに話したかったのかもしれない。

「シリウスは知っているんだろうか……いや、知ってたら友達にならないか」
「あいつなら知っているぞ」
「え?」

 アルタイルは驚きで丸く目を見開いた。シリウスは狼人間を嫌っていると思っていた。幼い頃は狼人間を退治する魔法戦士ごっこをしたものだ。シリウスは魔法戦士の役を譲ろうとしなくてレギュラスと喧嘩になったこともある。

「ルーピンのことを探っていたらあいつの方から近づいてきた。満月の夜に暴れ柳の根元に行けば全てがわかる、とな」
「それはシリウスのでまかせじゃないのか? 君が暴れ柳にやられるところを見たいようにしか思えない。ルーピンが本当に人狼で暴れ柳の根元に秘密の部屋か通路かあるとして、それをセブルスに言うのは友達を売るようなものだ」

 暴れ柳は名前の通り生き物が近づくと枝を振り回して暴れる性質を持っている。ホグワーツでは、数年前にふざけて近づいた生徒が失明しかける事故が起きていた。アルタイルには、暴れ柳の枝に殴られて吹き飛ぶセブルスの姿がありありと想像できた。それを陰で見て笑うシリウスの様子も。

「暴れ柳は僕たちが入学した年に植えられた。ルーピンが人狼に変身するための部屋を隠すため――狼人間が逃げ出さないための番人だとしたら――あんな危険なものが植えられたのもうなずけないか?」
「一理あるが……」
「絶対に証拠をつかんでやる。公表したらルーピンは退学だ。誰だって自分の子供を狼人間と同じ学校には通わせたくないはずだ。ダンブルドアの方針がどうだろうと、保護者から大量の意見が届けば無視できないだろう」
「そこに狼人間がいると信じているならなおさら行かない方がいい。わざわざ噛まれに行くようなものだ」
「危険だからって動かなかったら何も手に入らないぞ」

 セブルスはこれ以上話すことはないとばかりに立ち去った。

 その日はベッドに入ってからもセブルスの言葉が頭から離れなかった。話が話だけにエリックやウィリアムには相談できない。事の真偽がわからないうちに、万が一でもルーピンが狼人間だという噂が広まることは避けたかった。家で窮屈にしているシリウスがホグワーツで楽しく過ごせるのは、ルーピンが友人でいてくれるお陰だ。
 明日シリウスを捕まえてきいてみるか。アルタイルは目を閉じた。そういえば今日の月はなんだっただろうか。スリザリン寮は地下にあるため窓がない。一昨日の天文学の授業を思い出し、勢いよく身を起こした。
 今夜は満月だ。
 眠気が完全に吹き飛んだ。昼間の様子からしてセブルスは間違いなく暴れ柳の所に行くだろう。そこで枝に殴られるか――シリウスがそんなことをするとは信じたくないが――もし本当に狼人間がいたら、冗談ではすまされない。
 枕元の杖を手にとって、呪文を囁いて杖先に明かりをともす。時計の針は就寝か時間から2時間ほど経っていた。そっと天蓋付きベッドのカーテンを開けて床に降りる。ウィリアムのベッドのカーテンの隙間から微かな明かりと羽ペンの音が漏れていたが、他はみんな寝ているようだ。アルタイルは壁に掛けていたローブを羽織ると、部屋から抜け出した。

「こんな夜更けにどうしたのかね?」

 銀色に輝くゴーストの姿が廊下の奥に浮かんでいた。

「こんばんは、血みどろ男爵。セブルスが寮を抜け出したかご存じないでしょうか?」
「ふむ。寮から出ていくのを見かけたが」
「ありがとうございます」

 アルタイルは駆け出した。シリウスのせいでセブルスが大怪我をするようなことは絶対とめなければならなかった。

 

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