2回目悪戯仕掛け人

 ベッドから落ちる感覚がして、夢から叩き出された。あっやべ、と思った時には床と激突している。いってえ……。そんなにひどい痛みではなかったが、寝起きのだるさでしばらく床に伏せったままでいた。ひやりとした石の感触が頬や手にあたって気持ちいい――おれの部屋は畳なのに。
 この感じ、覚えがあるぞ。前にもこんなことがあった。いつだ? そうだ、リドル。あいつがおれを召喚したんだ。某世界的大ヒット作の悪役。偉そうだが、質問にはちゃんと答えるという点ではいいやつだった。それに約束通りおれをちゃんと部屋に帰してくれたし。ぞっとする怖さはあったけれど、まあ、終わりよければ全て良しということで。あんなやつと戦ったなんてハリーはすげえな。
 あの後、リドルが呪文を唱えるや眠くなり、カーテンの隙間から差しこむ朝日に目を覚ますと、おれはベッドの中にいた。ああ、あれは夢だったか、といつもの毎日が始まった。ただ、目覚めれば薄れてしまう夢の記憶にしては珍しく、一年が経っても鮮明に覚えていた。まるで実際に体験したことのように。体がこの石の床や夜の空気の冷たさを覚えていた。
 もしかしてこれって夢じゃない……のか? この床とぶつかった痛みは現実なのか。
 目を開くと、前と同じでオレンジ色の蝋燭の薄明りと床に描かれた魔法陣があった。その陣の中にいるおれは、寝巻きのジャージ姿(背が伸びたので買い替えた。やったぜ)である。違うのは、

「うおっ、すっげえ! 本当に出てきた!」
「この本に書かれていたことは本当だったんだね」

 魔法陣の外から二人分の声がしたことだ。
 最初に叫んだのは黒髪のイケメンだ。優等生風だったリドルとは違い、こちらはやんちゃ系というか、ちょっと不良っぽそうなのがまた女子から人気がありそうだ。羨ましい。
 次に声を出したのは眼鏡の少年だった。こっちも黒髪だが毛先があちこちに跳ねている。手にはいかめしい皮表紙の本を持っていた。リドルも本を持っていたが、それと同じだろうか? そこまで覚えていない。
 さらに、声もなく驚いてこっちを凝視する少年が二人いた。ひとりは茶色の髪で大人しそうな感じ。もうひとりは背が低くてぽっちゃりしている。計四名だ。全員同じローブを着ているのは、きっと制服だからだろう。リドルも同じローブだったはずだ、たぶん。
 ここもハリー・ポッターの世界だとしたら、こいつらが誰か心当たりがあった。

「いくつか質問していいか? あんたたちの名前は? ちゃんとおれを帰してくれるんだろうな?」
「おっと待った」

 眼鏡が、矢継ぎ早に言うおれをさえぎった。

「人に名前を訊く時は、先に自分の名前から言えって教わらなかったのかい?」
「アポなしで呼び出しといて礼儀を語るなよ。ま、ここでごちゃごちゃやっても先に進まないから名乗るけど、おれは奥峰龍臣。そっちは? まさか人が名乗ったのに答えないような礼儀は持っていないよな?」
「安心したまえ。僕らは騎士道精神の持ち主さ、奥峰。僕はプロングス」

 眼鏡――いや、ジェームズは偽名を使った。続いて口を開いたのは、おれの姿を不躾にじろじろ眺めていたイケメンだ。

「おれはパッドフットだ。召喚されたくせに偉そうだな」

 こいつの本名はシリウスだろう。
 いまだ無言の残りの二人に目を向ければ、茶色の髪が「ムーニー」と名乗った。ってことはリーマスだ。どうもこの召喚に乗り気なのは、黒髪の二人だけのようで、リーマスは一歩引いて眺めている感じだ。礼儀正しいし冷たい反応ではないんだけど、友達の付き合いでいますというのが見て取れる。
 一方、小柄な少年はおれが怖いらしい。物陰から様子を伺う小動物よろしく黒髪二人の陰から、「ワームテール」と小さな声で名乗った。ピーターで確定だ。
 今回はこいつら悪戯仕掛け人に呼び出されたようだ。

「あと聞きたいのはちゃんと帰すかどうかだっけ? もちろん帰すとも。僕らの言うことを聞いたらだけどね」

 ジェームズの言葉に、騎士道精神とは何かと問いたくなる。スリザリンのリドルと言っていることが同じだった。
 まだシリウスは珍獣を見るような視線をおれに向けていた。彼ら呼び出そうとしたのが悪魔だが魔人だがなんだか知らないが、おれの正体は魔法も使えないただのマグルなので微妙に居たたまれない。

「つーか、ここがどこかきかないんだな。普通そこが気になるんじゃないか?」
「ここがどこだか当ててみせようか? ホグワーツだろ」

 目を丸くする彼らの反応に気をよくして、おれは笑った。でも、これで特別な力があると勘違いされても困るので種明かしをする。

「そんなローブ着てたらわかるって。それ、学校指定のやつだろ?」
「なんだ! うっかりしてたな」
「これ着るのが当たり前になってるからな」

 ジェームズが噴き出し、シリウスは自分の迂闊さをちょっと悔しがるように形の良い眉をしかめた。リーマスとピーターも笑っていて、彼らは仲の良い友達同士にしか見えなかった。

「で、おれにしてもらいたいことってなんだ?」
「ムーニーの人狼を治してほしい」

 息をのむほどにジェームズの要求は意外だった。てっきりくだらない悪戯に使われると思っていたから。唐突にこいつはハリーの父親なんだなと思った。五巻で下がっていた株が急上昇する。スネイプにやったことはひどいものだったが、それはそれとして美点もちゃんとあったのだ。

「さ、早くやってくれよ。まさかできないなんて言わないよね? 君はその辺の魔法使いが逆立ちしても敵わないようなすごい力を持ってるんだろ?」

 ジェームズが急かす。口調は軽いが目は真剣だ。シリウスとピーターは期待のこもった様子で固唾をのんでいる。リーマスは無表情で感情が読めなかった。不思議なことに、彼自身のことなのに関心がないようにも見える。
 はい、仰せの通りなんでも叶えて差し上げましょう。残りの願いはあと二つありますがいかがしましょう、なんてアラジンと魔法のランプの魔神のようにこたえられたら大円団だったのだけど、生憎おれにそんな力はない。なのになんで召喚されるのか。リドルの時はたまたま相手が知りたいこととおれの知っていることが一致していたからよかったものの。
 誰もがおれの返事を待っている。沈黙がつらい。やめろ、そんな澄んだ目で見るんじゃない!

「あー……非常に言いづらいんだが、そのまさかだ」

 空気が凍りつき、砕け散った。

「できないって……なんだよそれ!」
「うわっ! 暴力反対!」

 シリウスがおれにつかみかかろうとした。おれは両手を上げて降参のポーズをとる。上背のある相手に力で勝てる気はしない。
 シリウスが魔法陣の中に踏み込む前に、リーマスがしがみついてとめた。

「パッドフット! 僕なら大丈夫だから。だから落ち着いて」
「でもっ……!」
「僕のために怒ってくれてありがとう。でも、殴ったってどうにかなるわけではないだろ?」

 おれは激しく首を縦に振った。シリウスは物凄い目付きで睨みつけていたが、渋々といった様子で腕を下ろした。リーマスがとめてくれて助かった。ベッドから落とされた上に殴られるとか理不尽すぎる。
 もしかしたらリーマスは、おれが人狼を治せるなんてはなから期待していなかったのかもしれない。だから距離を置いて見ていたのでないだろうか。期待が裏切られた時に傷つかないように。
 ピーターはまだ不安そうにシリウスとおれを交互に見つめた。ジェームズが
ため息をついた。

「まあ、そう言われることは覚悟していたよ。君はやっぱり悪魔なわけだ。僕らの願いを叶えてくれる魔神じゃなく。この書き込みは正しかったわけだ」
「書き込み?」

 おれが聞き返すと、ジェームズは手にしていた本を掲げた。

「この本には魔神の召喚の仕方が書かれているんだけど、余白に『悪魔』って書き込まれているんだ」

 もしかしてリドルが書いたのか? その本がリドルが持っていたのと同じなら、だけど。

「その本、どこで手に入れたんだ? ホグワーツの図書室にそんなのが置いてあるのか?」
「おれの家にあった本さ」

 シリウスが吐き捨てた。
 とすると、リドルがその本をブラック家の人間から借りたのか、リドルがあの後その本を売ってブラック家の人間が古本屋で買ったのか。可能性としてはそんなところか。
 不意にシリウスは残忍な笑みを浮かべる。

「こっちの言うこと聞けなかったんだから帰すわけにはいかないな」
「はあっ!? 脅迫かよ、騎士道精神はどこいった!」
「やめなよ、パッドフット」

 険悪になったおれらの間をルーピンがとりなす。

「そりゃ人狼が治らないのは残念だけど、できないものは仕方ないし。代わりに他のことしてもらおうよ。それでいいかい、龍臣?」
「まあ、そうだな」

 ノーと言ったらまた一悶着起こるだろうからうなずいておく。とはいえ、おれにできることなんてあるんだろうか?

「他ねえ……ああ、そうだ。これならどうだろ?」
「言っとくけど、誰かに悪戯とかはなしだぞ。できないから」

 具体的な提案を聞く前に釘を刺すと、ジェームズは口を閉じた。

「なんだよそれ! 全然使えないじゃねえか」

 シリウスがわめいている。だが、無理なものは無理なのだ。

「そんな力ないんだよ、おれには。生憎小物なんでな。もっと何かしたいんなら、他の悪魔でも魔神でも呼んでくれ」
「君は何ができるの?」

 リーマスがきいた。おれが開き直っても変わらず丁寧に接してくれる。なんていいやつなんだ。
 うーむ、リドルの時におれがしたことといえば情報提供だ。でも悪戯仕掛け人たちが特別欲している情報がない以上できることは――

「予言、とか?」

 ここでのおれの特殊さ、アドバンテージは、ここが本の世界でおれが読者だということにつきる。だが、彼らの反応は芳しくなかった。ハリポタの魔法界では、占いや予言の類を信じる人と胡散臭く思う人にわかれていた。彼らは後者らしい。

「じゃ、僕たちのことでも予言してみてよ」

 ジェームズは明らかに気乗りしていなかった。おれが大したことができないとわかって、興味が薄れているようである。

「それじゃまずあんた、プロングスから。えーと」

 早死にしますよ、はまずいよな。トレローニの占い学と変わらないと思われてしまう。あの先生がこの時代からホグワーツで教えていたか知らないけど。

「そうだな、早く結婚するでしょう」

 ってこれじゃまるでよくある占いだ。そう思ったら、「安い占いかよ」とシリウスが馬鹿にした様子で言った。リーマスもピーターも言葉にこそしないが拍子抜けしているようだ。ジェームズだけが顔を輝かせ、今日一番の食いつきだった。

「相手は? 赤毛の可愛い子?」
「それを言ったらつまんねえだろ」
「ええー、そんなことないよ。もっと何かないの? 教えてよ」
「じゃ、代わりにもうひとつ予言。あんたの息子は魔法界でめちゃくちゃ有名になるよ」
「ええ!? 僕の子供って男なの!? 男の子か女の子か生まれてくるまでドキドキする時間がなくなったじゃないか!」
「……あー、そりゃ悪かった」

 僕の息子ってことはきっとハンサムなんだろうね、なんてデレデレするジェームズから視線を外し、おれは残りの三人を見た。

「次は誰やる?」
「おれはごめんだ。こいつの言うことなんか信じられるかよ」

 シリウスも投獄や早死にでトレローニ占い学になるので断ってくれて助かる。

「じゃ、僕をお願いするよ」
「ムーニーか。うーん……卒業してからもまたホグワーツに来ることになるだろう」
「へえ。なんでだろう」

 リーマスはにこやかに当たり障りなく言った。当たらぬも八卦、当たるも八卦、それくらいの楽しみ方でいい。
 最後はピーターだが、こいつもこいつでなかなか悲惨な未来が待っているんだよなあ。さて、どう予言するか。

「ワームテールは……赤毛の大家族とエジプト旅行」

 彼らはそろってきょとんとした。今の段階じゃ赤毛の大家族にもエジプトにも全く心当たりがないんだろう。

「さて、約束通り帰してくれるよな?」
「ま、楽しんだしね」

 ジェームズは肩をすくめて言うと、呪文を唱え始めた。
 もし次に召喚されることがあるとしたら、また世代が変わってハリーたちの世代になるのだろうか。そんなことを考えているうちに、眠気に襲われて瞼が落ちた。