その後の話

 陽の光が入らない地下水路を小舟が進んでいく。鴉部隊の隊員が慣れた様子で櫂を漕いでいた。フード付きの丈の長いローブが、性別や個人を特定する身体的特徴を覆い隠している。
 舟には二人の乗客が向かい合って座っていた。
 一人は黒いコートとズボンという出立ちの少女だった。癖のない黒い髪に切れ長の目、アジア系の彫りの浅い顔立ちと象牙色の肌。背中には子供でも扱えるサイズの白い小銃を背負っている。岩壁を百足に似た虫が走るのを眺めながら、ドイツ語訛りの英語で呟いた。

「本部に来るのは何年ぶりかな」
「君が来るのは初めてだ。そうだろう、ハイダ?」

 男の声に少女は姿勢を正した。上下関係に厳しい軍隊で過ごした時の習慣は脳に染みついている。明るい茶色の目がランタンに照らされて金色に輝いた。

「はい、長官。俺は初めてここに来ました。言い間違えました」

 ヴァチカン中央庁の制服を着た大柄な男、マルコム・ルベリエは膝の上で手を組み身をかがめ、ハイダと視線を合わせた。

「君の存在、アジア・第六研究所について、情報の公開範囲を今一度確認させてくれ」
「はい、長官。俺の存在も研究所のことも機密事項です。医療班、科学班は班長クラスから知ることができます」
「そうだ。それで君は何者だね?」
「はい、長官。ハイダ・シェーファーです。生みの親はドイツで商売をしていた清の人間ですが、幼い頃に病で亡くし、その後はドイツ人の養父と養母に育てられました。その二人もアクマに襲われて死亡。俺はイノセンスの適合者だったため教団に保護されました」
「その通り。ハイダのイノセンスについて教えてくれ」
「はい、長官。装備型で長銃の形をしています。名前は……ええっと、魔弾の射手 フライシュッツです」

 ルベリエは大袈裟にため息をついた。

「ちゃんと覚えてくれないと困るよ。母国のオペラだろう」
「はい、長官。気をつけます」

 ハイダは従順にこたえた後、視線を逸らしてこっそり呟く。

「オペラなんて見たことないし……」
「だから、この名前にしたのだ。ウーヴェ・シェーファーがつけそうにないからこそ、ハイダとウーヴェを結びつける者はいないだろう」
「教養がなくてすみませんね。どうせ俺は黒猫にクロ、白猫にシロってつけますよ」

 ルベリエの特別監査役の長官という肩書きは、ハイダにとってはとりあえず礼儀正しくしとこうという程度のものでしかない。本気で敬っているわけではないからすぐに崩れる。希少なエクソシストなら多少の無礼は多めに見てもらえる。
 ハイダは見た目は10歳かそこらの少女だが、実のところ頭蓋骨に収まっている脳味噌はウーヴェという成人男性のものである。任務中に負傷し、黒の教団の科学と魔術の合わせ技で延命したものの、人体実験の結果だと大っぴらに言えるわけもなく名を変えねばならなかった。
 アジア支部の地下深くで行われた人造使徒計画は、被験体アルマの暴走により科学評議会議長サーリンズ・エプスタインを始めとする研究員の多数が死亡。アルマとユウの戦闘の影響で設備と記録は修復不可能なほど破壊された。計画は凍結を余儀なくされ、残ったのはユウとハイダという二つの成功例だけだった。

「ウーヴェ・シェーファーは死亡した。君もその扱いには納得してくれたはずだが?」
「そりゃ生きるか死ぬかの二択を迫られたら、はい黙って生ます、何も言いませんとしか言えませんよ」

 逃げ出す決断ができるほど自分の能力を過信していないし、教団の情報網の広さは身内だからこそよくわかる。

「家族にちゃんと遺族年金が支払われる限りは文句はありません」
「賢明な判断だ。親に無事を知らせたいなどと思うなよ」
「この見た目ですから、言ったところで信じませんよ。孫だと言う方が現実的です」

 教団の技術こそ神が与えた奇跡の力のようだった。前にそう言ったら、エドガーが人間が何世代にも渡って積み上げてきた努力の結晶だとこたえたのを思い出す。学問と無縁に生きる家族にはその違いがわからないだろう。エクソシストになったばかりのウーヴェがそうだったように。

「ウーヴェとハイダは別人です。ちゃんとイノセンスの名前も覚えますから、そんな怒らないでください」

 ハイダは頭に刻みこむようにイノセンスの名前を繰り返した。

魔弾の射手フライシュッツ魔弾の射手Freischütz……自由なfrei、ね……」

 中国語に比べたらずっと言いやすいのに、舌先がもつれそうになった。

 

 

 アジア支部は地下に広がっていたが、黒の教団本部は天に向かって伸びていた。ハイダは初めて訪れた者がするように、吹き抜けの天井をぐるりと見上げた。久しぶりの本部は新鮮だった。
 ホールを行き交う団員たちは初めて見る少女に興味津々だったが、隣にいるお偉いさんに気後していた。

「まずは室長に挨拶をしようか」
「はい、長官」

 室長とは数年ぶりに顔を合わせることになる。仕事上の付き合いしかない相手だった。
 室長室の場所は覚えているが、知らないふりをしなくてはならない。ルベリエの後ろについて数歩進んだところで、館内放送が響き渡った。

「リナリー・リーが脱走しました。至急、出入口を封鎖してください。繰り返します――」

 足を止めた2人の脇を鴉たちが走り抜け、先回りして外へと続く扉に結界を張る。ファインダーが無線で連絡を取り合い、非戦闘員は退避した。いくら非常時の訓練は受けているとはいえ、現場を知らない団員までずいぶん慣れた様子だ。

「またリナリーか。手のかかる子だよ」
「誰ですか?」
「君の仲間だ。捕まえなさい。多少怪我をさせても構わない」
「はあ。アクマを撃つのが仕事なんですが」

 気乗りしないまま、とりあえず銃を持った。生まれ変わってから、仲間を撃つ機会ばかり回ってくる。泣き言のひとつでもこぼしたいが、もう聞いてくれる相手はいない。代わりに息を吐いて気持ちを切り替えた。逃げるエクソシストがなりふり構わず攻撃してきたら、身を守るためにも武器は必要だ。

「相手のイノセンスは?」
「両足の靴だ。能力は――」
「五階です! こっちに来ます」

 無線から顔を上げたファインダーが、ルベリエの声をかき消して叫んだ。
 ハイダは吹き抜けの天井に銃口を向けた。
 転落防止のための柵の向こうから、少女の体が飛び出してきた。黒いワンピースの裾が、長い黒髪が、まるで蝶の羽のように広がる。まだ幼く、歳の頃はアルマとユウと同じくらいだろう。

「撃て!」

 ルベリエが叫んだ。
 撃つ? 子供を? 正真正銘の子供を?
 彼女が墜死しないよう、再生能力のある自分がクッションになって受け止めるべきだと思った。
 だが、銃を放り捨てる前に彼女を突き刺そうとするナイフ――後を追っていた鴉が投げたのだろう――が見えた時、ハイダの口は勝手に動いていた。

黒い銃シュヴァルツェスゲヴェーア、発動」

 ナイフが撃ち砕かれたのを見て、自分が引き金を引いていたと知った。
 リナリーが驚いた顔で下を見た。ハイダは銃を下ろして攻撃の意思がないことを伝えた。

「何をやっている!」
「すみません。ろくに訓練してないから狙いがズレました。これ以上は流れ弾で被害を増やすだけです」
「馬鹿者! ――名前もだ」

 最後の一言はハイダにだけ聞こえる囁きだった。

「あー……とっさのことで、つい」

 リナリーはさらに飛んできたナイフを空中で器用に蹴り返し、何もない空中を蹴って飛び回っている。元からハイダの援護はいらなかったらしい。

「速いですね。あの足で一気に距離を詰められたら、撃つ間もなくやられるな」
「話題を逸らすな」

 ルベリエに看過されて、ハイダは首をすくめた。
 リナリーの脚力は誰にもマネできないものだったが、経験は鴉たちの方が上だった。飛び交うナイフはリナリーを追い詰め、罠へ誘導していた。
 いつの間にか床に魔法陣が描かれていた。その上空に彼女が来た時、待ち構えていた鴉が呪文を唱える。
 紫電が小さな体を貫いた。
 アクマを壊すことはできなくても、イノセンスの靴を履いていても、生身の人間には強烈な一撃だった。床に墜落したリナリーは四肢を広げたまま動かない。

「……死んでませんか?」
「しばらく動けなくなっただけだ。君はイノセンスの名前を覚えるまで、毎日百回声に出して書きとりなさい」

 ルベリエはハイダの肩を叩くと、リナリーのところへ向かっていった。逃げるなんて悪い子だ、と叱る声が静かになったホールに響く。エクソシストの責務から逃げ、美味しい食事に柔らかなベッド、綺麗な洋服、これだけ与えた好意を踏み躙るのか。
 ようやく説教が終わると、鴉はぐったりと動かないリナリーを抱えて運んでいった。大きな黒い目はガラス玉のように虚だった。ひび割れた唇から、哥哥お兄ちゃん、と微かな中国語がこぼれる。
 ハイダの背筋は凍りついた。第六研究所の冷たい空気がここにも流れている気がした。
 ホールを横切ったルベリエが振り返る。

「彼女のイノセンスは強力な武器になる。音速を超える機動力、空気を足場にし空中戦も可能だ。問題は見ての通り彼女に戦う意志がないということだ」
「あんな子供に頼らなきゃいけないなんて世も末ですよ」

 ハイダは急いで歩き出した。ルベリエは意外と歩調を合わせてくれる。優しさと冷酷さが同じ人間の中に同居することは珍しくない。戦場でも殺し合った相手も第六研究所にいた研究員も、普通の人間だった。

「なんとしてでも勝たなければならないのだ。君の献身を見習ってほしいよ」
「献身? まさか! 給料がいいから働いているだけです。世界中を回れるのも楽しいし、そんな難しいこと考えてやってるわけじゃないですよ」

 鼻で笑って一蹴する。自分の存在が子供を追い詰めることに使われるなんて最悪だ。

「敬虔な信徒だと聞いているが?」
「イノセンスに選ばれる前の話です」

 

 

 室長に事務的な挨拶をした後、聖女に会いに行った。岬のように突き出た足場にハイダとルベリエ、室長の三人は立っていた。部屋は暗く、壁も床も天井も闇の中に消えている。
 ハイダはちゃんと振る舞えるとアピールするため、率先して虚空に呼びかけた。

「初めまして、ヘブラスカ。ハイダ・シェーファーだ」

 闇の中から蛇と人間が融合したような異形の聖女が姿を現した。

「事情は……知っている……本当に、すまない……」
「なんだ、知ってたのか。ヘブラスカが謝ることないだろ」
「私は……知りながら……とめられ、なかった……」
「俺は命拾いしてよかったと思ってるよ。死にたくない俺と生かしておきたい教団の利害が一致したんだ。……他の奴は違うだろうけど」
「50年100年前の、実験を……受けたなら……同じことは、言えないだろう……。イノセンスの適合だけが、問題では……なかったのだ。……移植が上手くいかず……人工の体が不完全で……苦しみながら、死んでいった者の……なんと多いことか……。あんな、ことは……二度とすべきでは、ない……」

 ヘブラスカの表情は彫像のように変化が少ないが、彼女は教団の備品ではなく感情のある人間だった。ハイダは初めてヘブラスカに親しみを覚えた。

「教団批判を聞かせるために連れてきたわけではないぞ。早く彼女のシンクロ率を調べたまえ」

 適合率は72%、前回より11%上がった。久しぶりに測ったため、実験前後で数値に変化があったか不明である。
 ルベリエと室長から解放され、ようやく羽を伸ばせると思ったが、早々に科学班に捕まった。

「すげえな、イノセンスがそのまま銃の形になってる。神田って奴の刀もそうらしいし流行ってんのか?」
「銃口ひとつで足りる? 増やさない? 同時に百発撃てるようにできるよ」
「うーん、これからまだ伸びるだろうし余裕持たせないとな……。団服のデザインに希望ある? スカート、ズボンどっちがいい?」

 前方の団員たちは銃を眺め回し、後ろにいる団員はメジャーをハイダの背中に当てている。ここしばらく話し相手がルベリエと鴉という堅物だけだったので、にぎやかさに笑みがこぼれた。

「銃のサイズも形もそのままで。いや……最新の銃があれば試し撃ちしたい。いい物があればそっちに変える。団服はズボンがいい。デザインは全部任せるけど、ヒラヒラと動きにくいのだけはごめんだ」
「了解! なんだかベテランエクソシストみたいだな」
「あはは、僕たちにドン引きしない新人ってなかなかいないよ。あ、腕上げて。そう、そのまま動かないで」

 言われた通りに体を動かし、採寸に協力する。
 熱心に銃を調べている年嵩の団員がうなった。見覚えがある気がするが、名前が思い出せない。

黒い銃シュヴァルツェスゲヴェーアに似てるな」
「前にいたエクソシストが使っていたやつですか? 俺は見たことないんですよね」
「俺だってあいつの入団時に作ったきりだよ……全然本部に戻って来なかったからな。壊さないから修理しにも来ない」
「メンテナンスは?」
「それくらいなら支部の連中でもできる。どんな辺境に飛ばしても文句を言わないから便利だったらしい」

 兄弟子がイギリスから出たくないと文句を言っていたと思い出す。ロンドン生まれの都会っ子で、師匠はアフリカの草原も西インド諸島の綿花畑も大英帝国の一部だろうと笑ったが、なんの慰めにもならなかった。最期はフランス領の港で倒れ、アクマの毒で塵となった体は海原に消えた。

「その人の名前は?」

 ハイダはあえて自分から突っこんだ。散々鴉と練習して、演技指導を受けている。アジア支部からの旅はお陰で退屈しなかった。

「ウーヴェ・シェーファー。もう亡くなったよ、最後までアクマと戦ってね。……うん? 君もシェーファーか」
「だね。親戚にエクソシストがいたなんて聞いたことないけど」

 指導した鴉が見たら百点満点をくれるだろう。科学班の面々は偶然の一致で片付けた。

「神田って人もエクソシスト?」
「ああ、君と同じくらいの男の子でこれから本部に来るらしい。友達になれるかもな」
「だといいな」

 ユウはズゥがイノセンスを刀に鍛えてから本部に向かうことになっていた。上層部はハイダとユウの関係を隠したがり、また第二エクソシスト同士で仲違いして殺し合ったり、共謀して逃げ出したりすることを恐れていた。
 今度ユウと会ったら「初めまして」と言わねばならない。

 

 

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 科学班がイノセンスを改良している間、ハイダは連日鍛錬場に通っていた。一日中自由時間なのでゆっくりしてもいいわけだが、体を動かすのは好きだし何よりまだ死にたくない。アクマに殺されないために鍛錬は欠かせなかった。
 熱心に通っているうちに、ファインダーたちと顔馴染みになった。手合わせでその場の全員を叩きのめすと一目置かれるようになった。

「リナリー・リーってどんな子なんだ?」

 休憩中にハイダが尋ねると、ファインダーたちは顔を見合わせた。誰も口を開こうとしないので、重ねて訊く。

「ここには来ないのか?」
「訓練の時間には来るけど……自主的には来ないな」

 一人が話すと、踏ん切りがついたらしい。

「神様に選ばれたんだからしっかり戦ってほしいよ。そりゃあんな子供にきつい役目だとは思うけど、ハイダ様はこうしてちゃんとやってるわけだし。アクマを壊せるのはエクソシスト様だけなんだから」
「僕だってあれくらいの頃には親元を離れて働いて、毎日親方に殴られてましたよ。歳は関係ない」

 以前のウーヴェならきっと彼らと同じように思っただろう。衣食住だけを見ればリナリーは恵まれていた。

「ハイダ様はああならないでくださいね」

 ハイダは返事をしなかった。

 

 汗をかいた服のまま、あてがわれた個室に戻った。女性用の設備を使用していいものか迷うのだが、肉体も表向きの書類上も女ということになっているため男性用を使う方が問題になるらしい。シャワー室は個室なのでともかく、脱衣所は共同なので人気の少ない時間に行くようにしている。
 部屋の前にリナリーが立っていた。不安そうな顔で、軽く握った拳をドアの前に持ち上げては下ろしている。

你好こんにちは

 リナリーは驚いた子猫みたいに飛び上がった。

我叫俺はハイダ・シェーファー。很高兴认识你はじめまして

 見開いたリナリーの目にみるみる歓喜の色が広がり、堰を切ったように言葉があふれ出る。早口の中国語はすぐにハイダの限界を超えた。

「待ってくれ、早くて聞きとれない」
「あ……ごめんなさい」

 とっさに英語で言うと、リナリーも英語で返した。

「あの、あなたと話してみたくて。迷惑かもって思ったんだけど」
「いいよ。中で話そう」

 リナリーは嬉しそうにうなずいた。
 部屋にある物は全て支給品だった。給湯室で淹れた紅茶――茶葉もカップも備品だ――をサイドテーブルに置く。椅子が足りないのでリナリーをベッドに座らせ、自分は机の前の固い椅子に座った。

「ハイダちゃんはどこから来たの?」
「ちゃんはいらないよ。生まれも育ちもドイツで、中国語は親の国の言葉だから少しだけわかるんだ。中国語で話してもいいよ? ゆっくりなら大丈夫だから。たまに聞き間違えるけど。いや、しょっちゅうかな」
「ううん、英語しか話しちゃダメって言われてるから。そうしないと覚えないからって。だからさっきも本当はダメで、他の人に聞かれなくてよかった」
「ああ……」

 ハイダ自身の経験からいっても外国語を覚えるならとにかく聞いて話すことだ。だが、しょんぼりと項垂れるリナリーを見ると、彼女には厳しすぎるように思えた。

「……俺は中国語の練習相手を探してるんだよなあ。リナリーが付き合ってくれると助かるんだけど」
「でも……」
你喜欢的食物是什么好きな食べ物は何?」

 リナリーは観念したように笑うと、中国語で答えてくれた。色々なことを話した――食堂のおすすめメニュー、好きなこと嫌いなこと、あの団員は優しいとか怖いとか――中国語と英語が飛び交った。リナリーは話し好きの普通の女の子だった。
 気づけば外は暗くなっていた。

「ハイダと話せてよかった。ここに歳の近い子はいないし、女性は少ないから」
「また明日も来なよ。次は紅茶に蜂蜜を入れようと思うんだけど、どうかな?」
「いいと思うわ! ねえ、明日は淹れるところ見てもいい?」

 リナリーは満面の笑顔を浮かべた。

 

 

*   *   *   *
  *   *   *
*   *   *   *

 

 ターン、と銃声の音が鍛錬場に響いた。レベル1のアクマをイメージした卵型の的に穴が開く。

「まあ……こんなものか」

 ハイダは呟いて、構えていた魔弾の射手フライシュッツを下ろした。艶やかな黒い小銃だ。
 むき出しのイノセンスみたいに肉体を削られるような負荷はない。扱いやすくていい銃だと思う。だけど、どこかしっくりこない。例えるなら、手袋越しに物を触るようなもどかしさだった。せめて手袋を限界まで薄くするため、すでにリテイクは3回している。これが現在の技術の限界だろうし、ハイダもこれ以上細かな違和感を言い表す言葉を知らない。
 見守っていた科学班たちがハイタッチで喜び合う中、開発責任者はクライアントの不満を察していた。

「次に作り直す時までに期待に応えられるよう我々も研鑽を重ねよう」
「次?」
「身長が伸びたら作り直した方がいいだろう?」

 そういえばこの体は成長するんだったと思い出す。第六研究所にいた頃にすでに1センチは伸びていた。
 拍手の音に振り返ると、ルベリエがお供の鴉を連れて立っていた。

「完成の祝いにタルトタタンはいかがかね?」
「なんですか、それ?」

 薄切りにした林檎を敷き詰めて焼いた菓子だった。高級そうな椅子のある部屋で、長官と向かい合わせに座り、銀製のフォークでタルトタタンを口に運ぶ。

「美味しいです」
「私が焼いたのだよ。もう一切れいかがかね?」
「いただきます」

 ハイダは食べながら、怒られるようなことをしたか記憶をたどった。余計なことはしていない……と思う。

「リナリーと親しくしているようだな」
「歳が近いですから」

 ルベリエは満足そうにうなずく。

「君から良い影響を受けてリナリーがエクソシストの使命に前向きになるよう期待している。彼女を訓練に誘ったりは――」
「しないから、仲良くなれたのだと思います。長官が期待されるような働きは俺には難しいでしょう」
「エクソシストとしてあるべき姿を彼女に見せたまえ」
「はい、長官。それならできます」

 出された紅茶は濃く、タルトタタンの甘さでも舌に残った渋みは消せなかった。

 

 

 部屋に戻ると、ドアの前でリナリーが膝を抱えて座って待っていた。

「どうしたんだ?」

 跳ね起きたリナリーは、ハイダの両手を握った。

「大丈夫!? 痛いことやひどいことはされてない!?」
「うん。えっと、誰に?」
「ルベリエ長官と一緒に歩いてるのが見えたから……」

 リナリーの手が震えている。紫電で撃たれた時のように顔は真っ青だった。
 ハイダは安心させるため、はっきりと言う。

「大丈夫、何もされてないよ」

 リナリーを部屋に入れ、ベッドに座らせた。
 ハイダは隣に腰かけた。少し迷ったが他人から聞くよりはいいだろうと判断する。

「明日、任務に行くことになったんだ」

 リナリーの表情がぐしゃぐしゃに歪み、隠すようにうつむいた。

「ごめんなさい」
「なんでリナリーが謝るんだ」
「私、戦えなくて……」
「あんたに戦うよう言ってくる奴の頭がおかしいんだ」

 ハイダはリナリーの肩を抱き寄せた。小さな肩は細くて、戦いに耐えれるとは思えなかった。

「色々言ってくる奴はいるだろうけど気にするな。エクソシストの仕事はアクマを壊すこと、それは正しい。でも俺たちの仕事で一番大事なことは、アクマにイノセンスを渡さないことだ。この教団にいることがもうすでに立派な仕事だ」
「……私、それも嫌なの……」

 リナリーは同じエクソシストの女の子には隠していた本音を打ち明けた。

「家に帰りたい……お兄ちゃんに会いたい……」
「いいんだよ。そう思うことは悪いことじゃないよ」

 ハイダはその場しのぎの慰めの言葉しか持っていなかった。結局は第六研究所にいた頃と変わらない。神は奇跡のような銃を与えたけれど、家族に会いたいと泣く女の子一人救うことはできなかった。